董衡
ナビゲーションに移動
検索に移動
董 衡(とう こう、? - 219年)は、中国の後漢末期の武将。曹操の家臣。
生涯[編集]
曹操に仕えた将軍で、219年に蜀の関羽が北上して荊州の曹仁を攻めた際、曹操の命令で救援に派遣された七軍の将である龐徳に従う。しかし、長雨により漢水が氾濫したため、龐徳は水を避けるために堤に登り、そこを関羽に攻撃された。この際に董衡は同僚の董超と共に関羽に降伏しようとしたが、龐徳に阻まれて斬り殺された[1]。
『三国志演義』では龐徳が曹操に曹仁救援の軍勢を派遣する際に先鋒を祈願した際、董超と共に于禁に対し、龐徳が馬超の旧臣でさらに兄の龐柔も劉備に従っていることから裏切りを懸念し、先鋒にすることを反対する。そして関羽の水攻めが行なわれると、史実同様に董超と共に降伏を主張したため、龐徳に激怒されて斬り殺されている。
脚注[編集]
- ↑ 小出『三国志武将事典』P218