龐 柔(ほう じゅう、生没年不詳)は、中国の後漢末期の武将。龐徳の従兄[1]。
馬超が劉備に帰順した際、龐柔も劉備に帰順した[1]。219年に龐徳が関羽と対峙すると、曹操の配下は龐柔が劉備の下にいることから龐徳も帰順するのではと疑った[1]。また龐徳が関羽に処刑される前に龐柔の名前を出して帰順するように勧めている[1]。
『三国志演義』では龐徳の兄になっており、自分の嫁と龐徳が不仲で酔った勢いで殺したため兄弟は絶縁していた事が語られている。