荒川晴宣
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荒川 晴宣(あらかわ はるのぶ、? - 永禄8年5月19日(1565年6月17日))は、戦国時代の武将。室町幕府の幕臣。官途は治部少輔。
略歴[編集]
室町幕府の幕臣で、諱の晴宣は第12代将軍・足利義晴の偏諱と推定されることから、義晴の時代から仕えていたと思われる。
第13代将軍・足利義輝の時代にも引き続いて仕え、申次衆の一員に列した。永禄8年(1565年)5月19日、三好三人衆と松永久通による永禄の変の際に、義輝と共に二条御所において戦死した[1]。
子に同じ官途を引き継いだ治部少輔がおり、第14代将軍・足利義栄に仕えた後、織田信長の家臣となっている[1]。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]
- 岡田正人 『織田信長総合事典』 雄山閣出版、1999年。 。