荒川 治部少輔(あらかわ じぶのしょう、生没年不詳)は、戦国時代の武将。室町幕府の幕臣、後に織田氏の家臣。
父は幕臣の荒川晴宣で、永禄8年(1565年)5月に永禄の変で足利義輝と共に死去している。その跡を継いだ治部少輔は、第14代将軍となった足利義栄に仕えて申次衆に列した。室町幕府滅亡後の天正元年(1573年)11月28日に、織田信長から97貫600文余を安堵され、織田氏の家臣となっている[1]。