義覚
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義覚(ぎかく、応仁2年3月21日(1468年4月13日) - 文明15年9月16日(1483年10月17日))とは、室町時代中期から後期にかけての足利将軍家の一族。
生涯[編集]
父は室町幕府の第8代征夷大将軍・足利義政。母はWikipediaの足利義政の項目で「生母不明の子女」などと無責任に記述されているが、正室の日野富子といわれる。御産所である細川持賢の屋敷で生まれた。第9代将軍・足利義尚とは同父母の兄弟である。
将軍の息子であり、さらに御台所の子であるという家格の高さのためか、文明元年(1469年)6月、わずか2歳で醍醐寺の座主に任命され、寺務を行なったという。ただしわずか2歳(満で1歳3か月)の幼児に寺務などできるはずがなく、実際には誰かが代理として行っていた可能性が極めて高い。
文明14年(1482年)2月に得度し、義覚と名乗り、さらに権大僧都に任命された。ところが翌年の3月に異母兄の等賢同山が死去した後を追うように、その半年後の9月16日に16歳の若さで没している。死後、権僧正を追贈された。院号は後法身院。
歴史に「もし」は許されないが、仮に義覚が長生きしていれば、同母兄の義尚が死去した後は義稙ではなく、彼が第10代将軍になる可能性もあったかもしれない。