等賢同山
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等賢 同山(とうけん どうさん、寛正6年7月20日(1465年8月11日) - 文明15年3月24日(1483年4月30日))とは、室町時代中期から後期にかけての足利将軍家の一族。
生涯[編集]
父は室町幕府の第8代征夷大将軍・足利義政。母はWikipediaの足利義政の項目で「生母不明の子女」などと無責任に記述されているが、側室の阿茶局といわれる。御産所である小串政行の屋敷で生まれた。
生まれた日は第9代将軍・足利義尚より数か月早かったが、母親の身分違いもあってか後継者とは目されず、早くに天龍寺香厳院に入院し、そこの院主になっている。文明15年(1483年)3月24日に19歳の若さで死去した。