義昭興廃記

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義昭興廃記(よしあきこうはいき)とは、足利義昭に関する史料である。

概要[編集]

著者・成立年代[編集]

著者も成立年代も不明。巻末の系図に足利義昭嫡子義尋の子供たちの名前が載っていること、足利将軍家の家系が断絶したことなどが書かれているため、江戸時代前期に成立した可能性がある。

内容[編集]

室町幕府の最後の将軍・足利義昭の事績とその子孫について語る年代記で、全1巻。

義昭の生涯を年代的に追っている。最初は永禄8年(1565年)5月の永禄の変で兄の第13代将軍・足利義輝松永久秀らに弑逆された事件からで、義昭の朝倉義景織田信長の下への亡命、信長が奉じて上洛して将軍就任から対立、そして本能寺の変後、豊臣秀吉の時代に秀吉が義昭に養子になることを望んで拒否したことなどが記されている。ただ、天正15年(1587年)に困窮を理由に秀吉に泣きついて毛利輝元に預けられ、備後国深津に御所を建立してもらったことなどが記されているなど、おかしな記録も存在する。

最後の記録は天正16年(1588年)に義昭の子・義在細川幽斎の勧めで薩摩に下向する一件である。ただ、系図には前述しているように義昭の孫たちの名前が載っているし、その代で足利将軍家の氏族が断絶したこと、あるいは小身に落ちぶれてしまったことを著者が嘆いており、公方子孫が江戸時代に大名に封じられていないことを悲しんでいる記述がある。このことから、著者は足利氏にゆかりのある人物の可能性が高いと推定できる。

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

参考文献[編集]