繁多寺
ナビゲーションに移動
検索に移動
繁多寺(はんたじ)とは、現在の愛媛県松山市畑寺町32に存在する寺院である。四国八十八箇所の第50番札所。正式な名は東山繁多寺(ひがしやまはんたじ)。院号は瑠璃光院(るりこういん)。宗派は真言宗豊山派。御詠歌は「よろずこそ繁多なりとも怠らず、諸病なかれと望み折れよ」。真言は「オン、コロコロ、センダリ、マトウギ、ソワカ」。
概要[編集]
奈良時代の孝謙天皇の勅願により、行基が開創した寺院である。後に空海こと弘法大師が訪れて堂塔を修復する。だが、空海の没後には衰退したといわれる。
その後、源氏の源頼義によって再興される。鎌倉時代後期の弘安3年(1280年)、当時は元寇の脅威に鎌倉幕府が苦しんでいた時期にあたり、幕府の命令で当寺の住持だった聞月が元軍撃退の祈願を行なったと寺伝に伝えられている。
なお、四国八十八箇所の成立に尽力した鎌倉時代の捨聖・一遍は繁多寺で修業したと言われている。
繁多寺は淡路山という丘の上に建っており、池を眺めながら山門を潜ると、伊予松山城をはじめとする松山市一帯や瀬戸内海を眺望できる絶景の寺である。
この寺には江戸幕府の第4代征夷大将軍・徳川家綱の念持仏といわれる歓喜天を納めている聖天堂があり、また鐘楼の裏面に歓喜天のシンボルマークが鋳造されているのを見ることができる。
アクセス[編集]
外部リンク[編集]
- 第50番札所 東山 瑠璃光院 繁多寺(四国八十八ヶ所霊場会公式)