篠田桃紅
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篠田 桃紅(しのだ とうこう、本名:篠田 満洲子(しのだ ますこ)[1]、大正2年(1913年)3月28日 - 令和3年(2021年)3月1日)は、日本の美術家、版画家、エッセイスト。映画監督の篠田正浩は従弟にあたる。
来歴[編集]
当初は伝統的な書で芸術界に入るが、戦後に水墨の抽象絵画に移行する。昭和31年(1956年)にアメリカに渡り、抽象表現主義が席巻するニューヨークにおいて墨などによる独特の抽象作品が注目されて脚光を浴びる。欧米各地で個展を開催して名を挙げ、昭和33年(1958年)に帰国すると一躍、前衛書家としての名声が確立した。
昭和36年(1961年)にサンパウロ・ビエンナーレに出品し、建築に関わる仕事にも積極的に携わって国立代々木競技場第一体育館の壁画(東京都)、国立京都国際会館のレリーフなどを製作したり、増上寺の大本堂や道場のために壁画や襖絵を手掛けた。
100歳という高齢を迎えても意欲的に制作活動を続けており、日本国内だけではなく国外でも個展を開き続けた。大英博物館、ニューヨークのグッゲンハイム美術館など、主に海外の美術館が篠田の作品を所蔵している。ところが、篠田は何度もその絵画や書が受賞作品に選ばれたにも関わらず、受賞に関しては一貫して辞退し続けた。
随筆家でもあり、昭和54年(1979年)に「墨いろ」で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞している。平成27年(2015年)には「一〇三歳になってわかったこと」がベストセラーとなった。
令和3年(2021年)3月1日午前6時10分、老衰のため、東京都青梅市の病院で死去した。107歳没。
作品[編集]
- 「Longing」 リトグラフ 手彩入り
- 「DOMAIN」リトグラフ 手彩入り
- 「QUIETUDE」 リトグラフ 1976年
著書[編集]
- 『新しい書道十二ケ月 抒情詩の解説を添えて』同学社 1954
- 『いろは四十八文字』矢来書院、1976年11月
- 『墨いろ』PHP研究所、1978年 のち文庫
- 『朱泥抄』PHP研究所、1979年11月
- 『その日の墨』冬樹社、1983年 のち新潮文庫、河出文庫
- 『おもいのほかの』冬樹社、1985年12月
- 『一字ひとこと』講談社 1986 『墨を読む 一字ひとこと』小学館文庫、1998年
- 『きのうのゆくへ』講談社、1990年
- 『桃紅 私というひとり』世界文化社、2000年12月
- 『桃紅えほん』世界文化社、2002年4月
- 『桃紅百年』世界文化社、2013年4月
- 『百歳の力』集英社新書、2014年6月
- 『一〇三歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い』幻冬舎、2015年4月
- 『一〇三歳、ひとりで生きる作法 老いたら老いたで、まんざらでもない』幻冬舎、2015年12月
- 『人生は一本の線』幻冬舎 2016
- 『一〇五歳、死ねないのも困るのよ』幻冬舎 2017
- 『桃紅一〇五歳 好きなものと生きる』世界文化社 2017
- 編纂
- 『日本の名随筆 27 墨』 作品社 1985
主な作品展示先[編集]
- ザ・トールマンコレクション東京(東京都港区芝大門)
- 岐阜現代美術館(岐阜県関市・鍋屋バイテック関工園内)
- 関市立篠田桃紅美術空間(岐阜県関市・関市役所庁舎内)
- 篠田桃紅作品館(新潟県新潟市中央区学校町通)
- 吉島家住宅(岐阜県高山市)
脚注[編集]
- ↑ 読売新聞 2021年3月4日 30面掲載