禅暁

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禅暁(ぜんぎょう、? - 承久2年4月11日(1220年5月14日))は、鎌倉時代前期の僧侶。父は鎌倉幕府の第2代将軍源頼家で4男。母は一品房昌寛法橋の娘。一幡公暁の異母弟で、竹御所の異母兄妹(もしくは異母姉弟)。同母兄に栄実がいる。

生涯[編集]

幼名は善哉とある(『尊卑分脈』『承久兵乱記』)。しかし公暁も同じ幼名を名乗っているため[1]、これは間違いではないかと思われる。

建保7年(1219年)1月に公暁が叔父の第3代将軍・源実朝暗殺した後、禅暁にも実朝暗殺に共謀したとする嫌疑がかけられ、第2代執権北条義時の命令で京都東山において誅殺された[1]

禅暁の死去により、源頼朝の男系子孫は全て断絶した。

脚注[編集]

  1. a b 安田元久 編『鎌倉・室町人名事典コンパクト版』新人物往来社、1990年、P319

参考文献[編集]