社会文化会館

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社会文化会館(しゃかいぶんかかいかん)は、かつて東京都千代田区永田町1-8-1にあった社会民主党(旧・日本社会党)が本部を置いていたビル。

概要[編集]

1964年に社会党本部として国有地に建設された地上7階・地下1階のビル。隣接する坂の名前から通称「三宅坂」とも呼ばれ、党の代名詞となった。敷地面積は約1700平方メートル[1]、延床面積は約6600平方メートル[2]。2階と4階に党の関連事務所が集中し、4階に党首室、党事務局、幹事長室、会議室がある。5階から7階は多目的ホールの「三宅坂ホール」(688席)に使用されていた[3]

以前の社会党本部と自民党本部は1964年の東京オリンピック開催に伴う国道246号の拡幅工事で立ち退き対象となったため、両党は国有地に新本部を建設した。2011年時点の賃貸料は年間約3990万円(1平方メートル当たり1万9000円)[4]。付近の相場よりも安いが、財務省理財局は継続使用で安くなるため適正価格だとしている。近くの民間ビルを賃貸する民主党は両党よりも割高な賃貸料を支払っており、不公平との声が上がった[5]

建物の管理は、1968年に設立された「財団法人社会文化会館」に委託されていた[6][7][8]55年体制下では常に人が行き来し、土井たか子委員長(当時)の「おたかさんブーム」の頃には約200人の国会議員が出入りした[1]。管理財団は、3階の会議室と5階から7階の多目的ホールを貸し出しており、最盛期には年間約9千万円の収益をあげ、党の貴重な収入源になっていた[5]

2000年代以降は、党勢の低迷で改築もままならず空き部屋も増えたが、皮肉なことにレトロな雰囲気と広いスペースが相場よりも安く利用できるため、テレビ関係者の口コミで利用数が増加した。撮影されたドラマには『CHANGE』『銭ゲバ』『相棒』、映画には『踊る大捜査線』などがある。2010年には30本が撮影され、それに関わる利用料収入は123万円と財政に寄与する金額ではなかったが、党側は宣伝になると好意的であった[7]

老朽化[編集]

2011年3月11日東日本大震災によりホールの梁の一部が崩落した[9]。以後、ビルの耐震性が問題視されて一般貸し出しが出来ない状態に陥り、賃料を得ていた管理財団は2012年3月31日に解散に追い込まれた[8]。以降ビルのメンテナンスは党職員が行うことになったが、この頃になると2フロアに党本部などが入るだけで、党の国会議員数も10人にすぎず、他フロアは節電で消灯し「幽霊屋敷」「お化け屋敷」と揶揄されるような状態であった[1][8]

建て替えは資金不足で難しく、国有地であるため営利目的の貸出も難しいため[1]、管理財団解散前の2月の定期党大会では、重野幹事長が党本部移転も選択肢として検討していることを明らかにしたが、国有地であるため移転時には解体して更地にする必要があり、多額の費用がかかることが判明。党本部問題は振り出しに戻り、「打つ手がない」(党関係者)状態に陥った[8]

その後、耐震診断で「即時使用制限」とされたため、11月15日の常任幹事会で年内に移転する方針を決めた。この時点で日本経済新聞によれば12月16日投開票の衆院選後に国会議事堂近くの商業ビルに入居する計画が立てられたとされるが[10]、朝日新聞によれば移転先は未定である[11]。12月20日の常任幹事会で、

  • 首相官邸の裏に立地する「永田町ビル」の2フロア(約660平方メートル)へ、2013年1月26・27両日に移転する。
  • 2013年4月以降に取り壊し、敷地(国有地)を国に返還する。

の2点を決めた[12]

耐震診断での復興予算使用[編集]

社民党は2012年6月に開始された耐震診断のため、千代田区に助成を申請し、費用の全額約850万円が公費で賄われた。このうち3分の1の280万円余りが、平成24年度の国の復興予算「全国防災対策費」から拠出され、残りは東京都が助成した。また、解体費用についても千代田区に助成申請を行い、区は約3分の1の助成決定を党に通知した。解体費用の助成は新年度予算からの支出となるが、このうち半額は国費で賄われることになる[13]

社民党は東日本大震災の復興予算が被災地以外の事業に流用されていた問題を批判してきたにもかかわらず(法的には被災地以外の防災対策にも復興予算を使える)、耐震診断の費用の一部に復興予算が使われたため、矛盾であるとの批判を受けた。2013年2月7日、社民党は「法的問題はないが好ましくない」として、耐震診断に使われた復興予算と同額の280万円を被災地に寄付することを表明した[14]

解体[編集]

社民党本部は2013年1月28日、首相官邸の近くにある民間ビル(永田町ビル)に移転した。新党本部は文化会館から国会議事堂を挟んで約900メートルの距離にあり[15]、面積は文化会館の10分の1となった[2]。社会文化会館は3月に解体作業を開始し[16]、8月には解体を完了した[17]。跡地には軽量鉄骨造(プレハブ工法)で警視庁永田町庁舎が建設された[18]

2017年5月8日、党勢の低迷、政党交付金の減額で財政難に陥り、東京都中央区湊3丁目にある民間ビル(マルキ榎本ビル)に再移転した[19][20][21]

備考[編集]

  • 建築資金の大半は江田三郎・元社会党書記長が集めた[22]。財界人からも寄付を集めたため、党大会で江田は「独占資本の手先に堕した」と批判されることもあった[23]。1977年に江田が社会主義協会派との党内抗争に敗れて離党した際、周囲は江田が建設に尽力した社会文化会館で最後のセレモニーを開こうとしたが、叶わなかった[22]
  • 1階入口には、1960年に右翼少年に刺殺された浅沼稲次郎・社会党委員長の胸像が置かれていた[24]。ブロンズ製で[2]、台座には詩人の草野心平による詩が掲げられている[25]。2013年1月に社会文化会館から民間ビルに社民党本部が引っ越した際、胸像は2トンもある重量のためにビルの底が抜ける恐れがあり、しばらく残されていた。台座部分を削り、一部材質を切り替えるなどして重量を470キログラムに減らし、2013年5月に引越しが完了した[26]
  • 1階には印刷会社の「株式会社印刷センター」(1968年4月設立)が入居していた。2011年10月に社名を「株式会社広報ブレイス」に変更し、2012年2月に板橋区に移転した。

脚注[編集]

  1. a b c d “社民党、哀れ貧窮問答歌〜ついに党本部退去へ 人事も膠着状態”. MSN産経ニュース. (2012年2月22日). オリジナル2012年3月9日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120309002237/http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120222/stt12022201310000-n1.htm 
  2. a b c “「三宅坂」半世紀の歴史に幕 社民党本部、26日から移転”. 産経新聞. (2013年1月20日. https://www.sankei.com/politics/news/130120/plt1301200004-n1.html 
  3. “特集ワイド:社会文化会館「三宅坂」解体へ 夢、館とともに去りぬ”. 毎日新聞東京夕刊. (2013年1月29日. https://web.archive.org/web/20130201223333/http://mainichi.jp/feature/news/20130129dde012040011000c.html 
  4. 神田知子 自民党が無償で使い続ける超一等国有地 週刊朝日(2011年11月9日)
  5. a b “社民党の貸会議室、良い収入 レトロが受けドラマ撮影も”. 朝日新聞. (2010年12月3日. https://web.archive.org/web/20101206075827/http://www.asahi.com/politics/update/1203/TKY201012030266.html 
  6. 一般財団法人静岡社会文化会館とは 一般財団法人静岡社会文化会館
  7. a b “キムタクも演説 「相棒」にも登場 ドラマロケで大人気の社民党本部ビル”. スポニチ. (2011年1月11日. http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/01/11/kiji/K20110111000028030.html 
  8. a b c d “「幽霊屋敷」社民ビル、進む荒廃「打つ手なし」”. 読売新聞. (2012年4月2日. http://archive.is/Fx0Uk 
  9. “社会党の代名詞「三宅坂」に幕 社会文化会館、取り壊しへ”. 日本経済新聞. (2013年1月27日. https://www.nikkei.com/article/DGXNZO51034850W3A120C1NN9000/ 
  10. “社民、年内にも党本部移転”. 日本経済新聞. (2012年11月15日. http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS15027_V11C12A1PP8000/ 
  11. “社民党本部、移転 老朽化で年内にも”. 朝日新聞. (2012年11月15日. http://archive.is/RctZT 
  12. “社民党本部ビル、取り壊し決定…敷地は国に返還”. 読売新聞. (2012年12月20日. http://archive.fo/FdDxx 
  13. “社民党旧本部、復興予算で耐震診断 「流用」批判と矛盾”. 朝日新聞. (2013年2月2日. http://archive.is/KqF0l 
  14. “社民党、復興予算同額寄付へ 旧本部の耐震診断に使用”. 朝日新聞. (2013年2月7日. http://archive.is/IYU8C 
  15. “さようなら三宅坂 社民党本部、引っ越し開始”. 産経新聞. (2013年1月26日. https://www.sankei.com/region/news/130126/rgn1301260003-n1.html 
  16. 知恵蔵mini『社会文化会館』 - コトバンク
  17. “社民党、10月に党首選 「推薦人200人」のハードル越えられるか”. 産経新聞. (2013年8月29日. https://www.sankei.com/politics/news/130829/plt1308290003-n1.html 
  18. “社民党本部の跡地、なんと警視庁庁舎に! 空き地と化した「三宅坂」の今”. Jタウンネット 東京都. (2016年6月23日. https://j-town.net/tokyo/column/gotochicolumn/227961.html?p=all/ 
  19. “社民、党本部を移転へ 賃料年四千数百万円 党勢低迷、交付金減少で財政難 職員16人の早期退職も”. 産経新聞. (2017年2月7日. https://www.sankei.com/politics/news/170206/plt1702060009-n1.html 
  20. 岡田浩明 (2017年3月20日). “ついに「都落ち」の社民党 2度目の党本部移転”. 産経新聞. https://www.sankei.com/premium/news/170320/prm1703200012-n1.html 
  21. “護憲政党“漂流”続く? 社民党本部、潮の香りする隅田川沿いに移転 安倍首相が改憲表明したそのときに”. 毎日新聞ニュース. (2017年5月23日. https://mainichi.jp/articles/20170523/dde/012/010/012000c 
  22. a b 『社民連十年史――草の根のロマン』社民連十年史刊行会、1989年
  23. 松下圭一「戦後政治における江田三郎 構造改革論争と《党近代化》 」、北岡和義責任編集『政治家の人間力――江田三郎への手紙』明石書店、2007年
  24. “社民、さらば三宅坂 党の盛衰と共に半世紀、会館解体へ”. 朝日新聞. (2013年1月25日. https://web.archive.org/web/20130207105721/http://www.asahi.com/politics/update/0125/TKY201301240767.html?ref=reca 
  25. 社民党OfficialTweetのツイート(2013年2月27日)
  26. “:浅沼胸像、やっと新居へ 重さ2トン→470キロで実現”. 朝日新聞. (2013年5月17日. http://archive.is/AOXBu#selection-2055.30-2067.29 

外部リンク[編集]