申儀
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申 儀(しん ぎ、生没年不詳)は、中国の後漢末期から三国時代にかけての魏の武将[1]。兄に申耽がいる。
生涯[編集]
兄と共に上庸郡に勢力を誇る豪族で、張魯や曹操に従った[1]。劉備が進出すると劉備に降伏して建信将軍・西城郡太守に任命されるが、220年に孟達が劉備から離反して曹丕に寝返ると孟達に同調して曹丕に降った[1]。さらにこの際、兄とは一時的に反目したが、劉封を上庸郡から追い出すのに貢献して兄を魏に帰参させたため、兄の地位をそのまま継承することを許された[1]。
228年に孟達と不仲になって対立すると、その叛意を曹叡や司馬懿に密告し、孟達を滅ぼすのに貢献したので中央に召還されて楼船将軍になった[1]。ただ『晋書』によるとこの際の昇進は詔書を偽造したといわれている。
『三国志演義』では兄と共に劉封を裏切って魏に帰参し、後に孟達が裏切った際にも協力せず司馬懿の策略でそのふりをした。さらに諸葛亮の第1次北伐で司馬懿の配下として従軍している。