申耽
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申 耽(しん たん、生没年不詳)は、中国の後漢末期から三国時代にかけての魏の武将。字は義挙(ぎきょ)[1]。弟に申儀がいる。
生涯[編集]
弟と共に上庸郡・西平郡で勢力を誇った豪族で、張魯に通じていた。しかし張魯が曹操に降伏したため、曹操に通じて上庸都尉に任命される[1]。219年に劉備が曹操を破って漢中郡を平定し、さらに上庸に侵攻してくると無抵抗で降伏して征北将軍に任命される[1]。220年に弟と孟達が曹丕に寝返った際、弟と袂を分かって劉封に与したが、劉封が魏の軍勢に敗れたため魏に帰参し、懐集将軍に任命されて南陽郡に移住した[1]。
『三国志演義』では弟と共に劉封を裏切って魏に帰参し、後に孟達が裏切った際にも協力せず司馬懿の策略でそのふりをし、孟達を槍で刺殺して昇進した。さらに諸葛亮の第1次北伐で司馬懿の配下として従軍している。