竹島

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竹島 (たけしま、독도)は、日本朝鮮半島の中間の日本海にある岩島である。日本では島根県隠岐の島町に属する島と認識されている。日本の領土ではあるが、2019年現在韓国が占領(実効支配)している。韓国のみならず北朝鮮も領有権を主張している。朝鮮半島のすべては朝鮮(北朝鮮)の領土であるからという理由である。日本法上では不法とする。


概要[編集]

江戸時代は、後述の様に竹島を日本領とまではしていないが、経済活動をしていたという記録は多数の証拠が残されており、実質的には日本の領土であった。日本の江戸時代には鬱陵島を竹島と呼び、現在の竹島を松島と呼んでいた。このことが混乱に拍車をかけている。

新羅の于山国征服[編集]

6世紀の新羅による「于山国」征服の伝説が『三國史記(新羅本記)』(512年6月条)に初出する。

十三年夏六月 于山国帰服 歳以土宜為貢
伊飡異斯夫 為何瑟羅州軍主
『三国史記』巻第四 新羅本紀 智證麻立干紀
(訳)512年夏六月、于山国は服属し土地の産物を貢物として献上した。伊飡の異斯夫が何瑟羅州の軍主となった。

韓国では古文献や古地図に登場する「于山島」を現在の竹島が含まれると解釈している[1]。この三国史記の記述にある「于山国」は鬱陵島と現在の竹島の二島としている。しかし『三国史記』には鬱陵島以外の名称は登場しない。于山国の別名は鬱陵島であり、竹島とは異なる。また鬱陵島朝貢していたとしても、領有権主張の根拠にはならないし、竹島に住民が定住していた証拠はない。

日本の竹島認識[編集]

日本では、現在の竹島をはかつては「松島」と呼んでおり、鬱陵島は「竹島」や「磯竹島」と呼ばれていた。我が国は「竹島」と「松島」の存在を古くから認識していた。例として、長久保赤水の「改正日本輿地路程全図」(1779年初版)や「竹嶋之図」(1724年頃)(鳥取県立博物館所蔵)にも鬱陵島と竹島を朝鮮半島と隠岐諸島との間に記載している[2][3][4]

江戸時代[編集]

江戸時代から日本人の漁業活動として竹島を利用していた通行証明書「往来手形」が残っている。鳥取県米子市の商家「大谷家」の文書など653点があり、竹島産の干しアワビなど経済活動の証拠もある[5][6]。日本は、江戸時代17世紀には竹島周辺海域で経済的行為行われていることが、韓国側からの批判に対する反証の切り札となる根拠の一つとして、竹島の領有を主張している。韓国には同時期に対応するような資料は存在しない。また国立国会図書館所蔵資料には「日本志山陰部隠岐国」地図には竹島への航路が記載されている[7]

安龍福の渡日[編集]

1693年に欝陵島で密漁していた安龍福らは、米子の大谷船と遭遇し、安龍福と朴於屯の 2 人が鳥取まで連行された。対馬経由で朝鮮に送還されたもののに1696年に欝陵島と竹島(独島)が朝鮮領であることを主張するため、自らの意志で渡日した。しかし安龍福は朝鮮政府を代表する立場ではなく、単なる密漁者であるから、その行動によって竹島(独島)が朝鮮領であることが認定されたことにはならない。しかし韓国では安龍福を「朝鮮の領土を護った英雄」として評価する見解が現在の教科書で示されている。

明治政府の竹島編入[編集]

1904年、日本海軍軍艦新高が、当時日本で「りゃんこ島」と通称されていた竹島の韓国名が「獨島」であるとの記録を残した。これが「独島」という呼称の初出である。1904年 9 月29日、隠岐島在住の漁業者中井養三郎は1904年9月29日、「りゃんこ島領土編入並に貸下願」をの外務省・内務省・農商務省に提出した。 日本政府は、島根県の意見を聴取したうえ1905年(明治38年) 1月28日、内務大臣の請議により竹島の領土編入を閣議決定した。(韓国側に伝えている)

韓国側からは、当時竹島は韓国領土であって無主地ではなかった、また韓国に通報されなかった、ことから先占は無効である、との主張がなされている。日本側は、歴史的に日本の領土であったものを近代国際法上の形式に則り領有意思を確認し公示したものであり、閣議決定を経て府県が告示するのは当時の日本の慣行に沿っていると反論している。国際法においては通告は先占の要件ではないとされる。編入後、島根県は漁業取締規則(県令)を改正し、竹島におけるアシカ漁業を許可漁業に指定し、中井ら四名に許可した[8]

サンフランシスコ平和条約[編集]

李承晩ライン[編集]

  • 日本が第二次世界大戦で敗北後日本の船が通れるラインである。マッカーサーラインが設定された。しかし、このラインに竹島は含まれていない。その後日本サンフランシスコ平和条約で独立する事に成り、マッカーサーラインが廃止される事に成ると知った韓国は、無断で李承晩ラインを設定し、ライン内に入った日本の漁船を取り締まった。この行為はアメリカから非難された。

現状[編集]

渡航[編集]

現在、日本人が渡航することは出来ず、また北方領土とは異なり原住民は存在しないため、特別に行くことが出来る日本人も存在しない。

韓国経由[編集]

以下には違法ではないにせよ、それに非常に近い行為についての解説が含まれています。

一応、韓国経由でなら物理的には渡航可能である。

  1. 日本で、韓国へのビザを取得する。90日以下なら不要。
  2. 韓国に渡航する。
  3. 韓国から竹島へ行く。

しかし、この島に入る前に『韓国領である』という制約書書かされる為、竹島が韓国の領土であることを認めることになる。当然日本国の外務省もやめるよう言っているので[9]絶対に止めよう。

戦闘[編集]

2021年現在は戦闘についての報道は無いが、韓国側は自衛隊との戦闘は十分に想定されているという報道はある。

逸話[編集]

右翼活動家として知られる赤尾敏は、竹島の問題に関して、北朝鮮問題の方が重要であると考え、その為にも日韓の友好を重んじていたため「あんなもの(竹島)は爆破してなくしてしまえばいい」と語ったという[10]。もっとも右翼の多くは日本の国土を爆破するなどという頓珍漢な発想には付き合いきれないようだ。

赤尾敏が、かつて所属していた、大日本愛国党は、現在、竹島返還運動を行っており、この逸話は冗談であった可能性がある。

竹島関連資料[編集]

脚注・リファレンス[編集]

  1. 独島の真実世宗大学独島総合研究所
  2. 鳥取藩政資料に含まれる竹島絵図について
  3. 絵図地図にみる竹島・鬱陵島舩杉力修、領土問題を考えるフォーラム、2007年2月24日
  4. 改正日本輿地路程全図長久保玄珠、神奈川県立歴史博物館所蔵、寛政3年(1791年)
  5. 江戸期に竹島でも漁産経新聞、2019年1月17日
  6. 「竹島で幕府の許可得て漁」読売新聞、2019年1月16日
  7. 竹島、最古の地図発見 1752年に航路示す毎日新聞、2019年6月26日
  8. 竹島領有権問題の経緯【第3版】国立国会図書館、2011年2月22日
  9. 韓国の出入国手続に従った竹島入域の自粛について 外務省
  10. 安田浩一『「右翼」の戦後史』(講談社現代新書、2018)

関連項目[編集]

  • 北方領土 歴史的に日本の領土であり、他国の領土となったことはない。現在はロシア連邦が占領している。
  • 尖閣諸島 日本の領土であるが、中国が領土と主張しており、近年侵略に近い行為が繰り返されている。現在も日本は実効支配している。
  • 沖ノ鳥島 これは中国が「ただの岩だ」と主張。護岸工事されており、浸食で沈むことはない。
  • 南鳥島坂本崎)日本の最東端。民間の渡航は不可能である。
  • 与那国島西崎) 日本の最西端。
  • 択捉島カモイワッカ岬)日本の最北端だが、渡航はできない。
  • 弁天島日本が実効支配している域内では最北端の島である。
  • 沖ノ鳥島(北小島)日本の最南端。民間の渡航は不可能である。
  • 加島駅 駅建設計画時の仮駅名が「竹島」。
  • 竹島_(愛知県) 愛知県蒲郡市の島。

外部リンク[編集]