鬱陵島

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鬱陵島(うつりょうとう、韓:울릉도)は大韓民国慶尚北道の沖合に浮かぶ火山島である。

概要[編集]

東海の火山のほとんどは鬱陵島の南の深海である鬱陵盆地の北の境界にある。鬱陵島は険しい山の斜面が取り囲んでいるカルデラ状であるため、平地はほとんどない。住民は約1万人である。1787年、フランス航海士ラファエルルージュが鬱陵島を「発見」してジュルレ(Dagelet)の名称を付けた。

付属島に島の北東に位置する竹嶼島(竹島とは別の島)があり、他に観音島がある。韓国東海岸の蔚珍より東に130.3 km、竹島からは北西に約 87.4kmの距離にある[1]

  • 名称:鬱陵島(韓国呼称:ウルルンド)
  • 面積:72.82 km²
  • 周囲:56.6km
  • 人口:9千8百人(2019年 6月末住民登録基準)
  • 交通:浦項市の浦項旅客ターミナルから高速船で約3時間。

歴史[編集]

三国史記によれば于山国として独立していたが、512年に新羅に服属したとされる。11世紀初頭には女真の侵攻によって于山国は滅びたとされている。

李氏朝鮮は鬱陵島を拠点に高麗再興派や倭寇の根拠地となる事を恐れて鬱陵島を立ち入り禁止にする「空島政策」を取っていた。鬱陵島(当時の名前は「武陵」)の住民3人を移住させた後、複数回に渡り武陵一帯の住民を朝鮮本土に移住させた。

その後は460年以上に渡り無人島となっていた。日本では、江戸幕府の公認を受けて、大谷、村川の両家は、鬱陵島に交代で渡りアワビやアシカをとっていた。アワビは将軍家にも献上した。李朝ははこれを「無人の島を利用した不法操業」と考えていた。しかし16世紀半ばに中国(明)で作られた日本地図に現在の韓国の鬱陵島が含まれている。位置関係により当時の中国は竹島や鬱陵島を日本領とみていたことが分かる[2]

鬱陵島の帰属問題は、17世紀末の両国の交渉で決着した。江戸幕府は1696年、隣国との友好関係から鬱陵島を朝鮮領と認め、日本人の渡航を禁じた。しかし、これには現在の竹島は含まれていない[3]

独島博物館[編集]

鬱陵島に韓国唯一の領土博物館である「独島博物館」がある。博物館の外にある石碑には日本の対馬まで韓国領と主張している[4]

マグマだまり[編集]

スイス連邦工大学のアンドレアス・ホィットニー教授らの研究者は、国際科学ジャーナル「地球物理学研究:地球」に掲載した論文で、鬱陵島の直下50キロメートルに幅300キロメートル、深さ100キロメートルに巨大な「マグマだまり」があることを明らかにした[5]

外部リンク[編集]

脚注・リファレンス[編集]

  1. 森須 和男(2014)「近代における鬱陵島の鯣(スルメ)産業と隠岐島」北東アジア研究 25、pp.97-123
  2. 鬱陵島を日本領に記載産経新聞、2015年3月21日
  3. 竹島 食い違う見解朝日新聞、
  4. 韓国鬱陵島の独島博物館News ポストtセブン、2011.09.26
  5. 鬱陵島の地下50キロに幅300キロのマグマだまりハンギョレ新聞、2016年6月13日