片野藩
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片野藩(かたのはん)は、江戸時代前期のわずかな期間だけ常陸国新治郡に存在した藩である。藩庁は片野陣屋。藩主家は外様大名の滝川氏。石高は2万石。現在の茨城県石岡市片野(旧新治郡八郷町)に存在した。
概要[編集]
藩祖の滝川雄利は、織田信長・織田信雄らに仕え、その後に豊臣秀吉に仕えて伊勢国神戸城2万石の大名となる。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで雄利は西軍に属したので、戦後に徳川家康に所領を没収されて改易となった。しかし3年後、家康から召し出されて常陸国新治郡に2万石の所領を与えられ、片野に藩庁を構えたことから片野藩が立藩した。
雄利の死後、跡を継いだ正利は寛永2年(1625年)、自らが病弱で江戸幕府に対して勤労ができないことを理由にして所領の返還を願い出て認められた。幕府は全ては没収せず、1万8000石のみを没収して残りの2000石を与えたので、滝川家は旗本に降格して片野藩は廃藩となった。
歴代藩主[編集]
- 滝川家
2万石。外様。