照屋寛徳

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照屋 寛徳(てるや かんとく、昭和20年(1945年7月24日 - 令和4年(2022年4月15日)は、日本政治家弁護士(登録番号:13361)。衆議院議員(6期)、参議院議員(1期)、社会民主党党首、同国会対策委員長(第9代)、沖縄県議会議員(2期)などを歴任した。沖縄国際大学名誉教授の照屋寛之は本家筋にあたり、親戚である。

来歴[編集]

太平洋戦争末期に北マリアナ諸島サイパン島米軍捕虜収容所で生まれる。当初は弁護士として米軍嘉手納基地の爆音訴訟に取り組んだりしている。米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に反対し、翁長雄志玉城デニーらの当選に尽力している。

県議を経て、平成7年(1995年)から参議院議員を1期、平成15年(2003年)から衆議院議員を6期務めた。社民党の副党首や国対委員長などを歴任し、社民党で唯一の小選挙区の議席を守り続けたが、令和3年(2021年10月に引退。沖縄県の過重な米軍基地負担の軽減を訴え続けた。

令和4年(2022年)4月15日午後1時42分、胃癌のため、沖縄県西原町病院死去した。76歳没。