湘南宗化

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湘南 宗化/湘南(しょうなん そうけ/しょうなん、生没年不詳)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての臨済宗

生涯[編集]

実の両親などについてなど、家族関係は不詳。子の無かった山内一豊見性院夫妻の養子になった。一説に一豊の落胤とする説もある[1]

天正15年(1587年)に見性院に近江国長浜城下で拾われて育てられる。幼名は拾(ひろい)。子が無かった一豊は一時は真剣に拾を自らの跡継ぎに考えていたというが、見性院の配慮により出家し、京都妙心寺南化元興の弟子になって湘南と名乗った。後に土佐国に移り、吸江寺を再興して山崎闇斎を育て、妙心寺南隣院の開山となった[1]

没年については、寛永12年(1635年)、あるいは寛永14年7月23日1637年9月11日)といわれている。妙心寺の大通院に葬られた[1]

脚注[編集]

  1. a b c 小和田「山内一豊のすべて」P214

関連項目[編集]

参考文献[編集]

外部リンク[編集]