清雲院 (徳川家康側室)
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清雲院(せいうんいん、天正9年(1581年) - 万治3年9月20日(1660年10月24日))は、徳川家康の側室。名は奈津[1][2]。
生涯[編集]
父は伊勢国の国司であった北畠家に仕えていた家臣の長谷川藤直。母は不詳。兄に長谷川藤広がいる。父の藤直は清雲院が生まれた年の8月6日に死去している[1][2]。
清雲院が家康のもとに奉公した経緯や時期などは不明であるが、慶長4年(1599年)以前から兄の藤広が家康に仕えていたことは確かなため、恐らくその縁により奉公に上がったのではないかと思われる。家康の側室となるが子供には恵まれず、家康が死ぬと落飾して清雲院と号し、武蔵国中野において500石の知行地を賜る。後に自らの500石を長谷川広清に400石、長谷川藤該に100石をそれぞれ与えて養子とし、それぞれに家を興させた[2]。
万治3年(1660年)9月20日に死去。80歳没。法名は清雲院心誉光質大禅定尼。小石川の伝通院に葬られた[2]。