浦城の戦い
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浦城の戦い(うらじょうのたたかい)とは、享禄4年(1531年)から天文元年(1532年)9月まで行なわれた武田信虎軍と今井信元軍の合戦である。この戦いは前年の河原辺合戦の延長戦であり、武田信虎が勝利して甲斐統一が完成し、甲斐武田家は甲斐を完全支配する戦国大名に成長した。
経歴[編集]
享禄4年(1531年)春、飯富虎昌・栗原兵庫・今井信元らは信濃の諏訪頼満の支援を得て大規模な反乱を起こした(河原辺の戦い)。しかしこの戦いは信虎の大勝に終わり、反乱軍のうち飯富虎昌は降伏して赦免され、栗原兵庫は討死した。このため、残った今井信元は本拠地の浦城[1]に籠城し、諏訪頼満の支援を得て抵抗を続けた[2]。しかし信虎の優勢は明らかで[2]、天文元年(1532年)9月に信元は妹の流英を信虎の側室として差し出すことを条件にして降伏した[3]。これにより甲斐国内における反武田勢力は一掃され、信虎による甲斐統一が完成した。『勝山記』では統一について「一国御無為になり候」と記録している。
この統一後、信虎は信濃など対外進出を本格化させていくことになる[2]。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 柴辻俊六 編『武田信虎のすべて』(新人物往来社、2007年) ISBN 978-4-404-03423-6