河北藤元
ナビゲーションに移動
検索に移動
河北 藤元(かわきた ふじもと、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。伊勢長野氏の家臣。通称は二介。官途は内匠助。諱は長郷とも言われる。姓は川北とも書かれる[1]。
生涯[編集]
父は細野藤光。兄に細野藤敦・分部光嘉がいる[1]。永禄12年(1569年)に織田信長の侵攻を受けると、長野家の当時の当主である長野具藤を追放して信長の弟である信包を長野家の当主として迎えるのに貢献した(『勢州軍記』『足利季世記』)。その後は信包の家臣として行動し、天正5年(1577年)10月19日に信長から信包への忠義を賞されている(『分部文書』)。
天正10年(1582年)の本能寺の変後も生存しており、天正13年(1585年)まで活動していることが確認されている(『今西文書』)。