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民族派学生団体
民族派学生団体(みんぞくはがくせいだんたい)は、日本の右翼系学生団体の俗称[1]。民族派学生組織とも。右翼学生団体は戦前から存在したが、民族派学生団体は1960年代に左翼系学生運動の対抗勢力として台頭し、「ヤルタ・ポツダム体制(Y・P体制)打倒」をスローガンとした学生団体のことを指す。1970年代にOBが民族派青年団体を結成した。民族派学生団体および青年団体は新右翼とも呼ばれる。
概要[編集]
猪野健治は右翼・民族団体を「協議体・連絡機関」「一般単一団体」「民族派青年団体」「民族派学生組織」「任侠系右翼団体」の5つに分類している[2]。鈴木邦男によると、60、70年安保の時期には日学同(日本学生同盟)、学純同(学生青年純正同盟)、全国学協(全国学生自治体連絡協議会)、日本学生会議、全学協(全国学生団体協議会)などの学生団体が存在したが、1982年時点でほとんど存在しないため、「民族派学生組織」は5つの分類に入る資格はない。鈴木は現存する日学同や学純同を「民族派青年団体」に分類し、「民族派青年団体」は新右翼とも呼ばれるとしている[3]。
高木正幸が紹介する公安資料は右翼団体を「純正右翼」「任侠系右翼」「民族派青年学生団体・新右翼」の3つに分類し、「民族派青年学生団体・新右翼」には「民族派学生団体」「民族派青年団体」「新右翼」があるとしている。右翼系の学生運動は戦前から存在したが、60年代に全学連など左翼学生運動に対抗し、学園正常化を主張する学生団体が台頭した。これらの学生団体は既成の右翼団体を批判し、「ヤルタ・ポツダム体制打倒」を主張するなどして「新民族主義」を自称したことから、「民族派学生団体」と呼ばれる。主な団体に生長の家学生会全国総連合(生学連)、日本学生同盟(日学同)がある[4]。
警備実務研究会『右翼運動の思想と行動』(立花書房、1989年)は右翼を「本流右翼」「行動右翼」「反共教化団体」「民族派学生・OB」「新右翼」の5つに分類している。「民族派学生・OB」の主要団体としては、日本学生同盟、三島由紀夫研究会、国防問題研究会、反憲法学生委員会全国連合、生長の家学生会全国総連合、日本青年協議会、重遠社などがある[5]。
警備研究会『わかりやすい極左・右翼・日本共産党用語集〔五訂〕』(立花書房、2017年)によると、民族派学生団体は1952年のサンフランシスコ平和条約締結の頃に発生した。1969年の東大闘争以降に左翼系学生運動の対抗勢力として成長し、1970年の三島事件を契機に急速に高揚した。右翼団体の指導を受けている「日本学生会議」、宗教団体に指導されている「全国大学原理研究会」、学生自身の組織である「日本学生同盟」に代表され、約90の団体があるとみられる[1]。
団体一覧[編集]
1972年4月の『内閣官房調査月報』によると、民族派学生団体には、全国学生自治体連絡協議会、首都圏学生自治体連絡協、全国大学連合原理研究会、全国高校生協議会、全日本学生国防会議、全日本学生政治連盟、全日本学生評議会、全日本学生憲法会議、全日本国民連盟学生部、日本学生同盟(主流)、日本学生同盟(統一)、日本学生会議、日本学生総連合、日本国心会、日本健青会学生部、日本正常化同志会、東京都高校生協議会、学生青年純正同盟、大生塾、尚史会、若獅子皇道隊、昭和桜花隊、軍国主義学生同盟、自由学生連盟、新日本学生連盟、新日本協議会学生部、日本主義学生連合、日本国家社会主義者同盟、日本誠道会、東京日本主義学生連合、全日本学生愛国連盟、反核防統一戦線、ひもろぎ会、維新思想研究会、大日本駒大防人会、拓志連合会(拓大)、三島由紀夫研究会がある[6]。
1982年度『警察要鑑』の「主要右翼・民族派団体等一覧表」によると、民族派学生組織には、反憲法学生委員会全国連合、日本学生会議、日本学生同盟、日本主義学生連合がある。また都外に全国学生協議会連合がある[7]。
警備実務研究会『右翼運動の思想と行動』(立花書房、1989年)の「現在の右翼団体組織系統図」によると、民族派学生組織には、日本学生同盟、反憲法学生委員会全国連合、日本主義学生連合、日本学生会議、全日本学生文化会議、全国学生協議会連合がある[8]。また同書の「主要民族派学生等団体一覧表」によると、日本学生同盟(日学同)、日本主義学生連合(日学連)、日本青年協議会(青協)、反憲法学生委員会全国連合(反憲学連)、生長の家学生会全国総連合(生学連)、学生青年純正同盟(学純同)、全日本学生文化会議がある[9]。
出典[編集]
- ↑ 以下の位置に戻る: a b 警備研究会『わかりやすい極左・右翼・日本共産党用語集〔四訂〕』立花書房、2012年、211頁
- ↑ 鈴木邦男『これが新しい日本の右翼だ――「恐い右翼」から「理解される右翼」へ』日新報道、1982年、204-205頁
- ↑ 鈴木邦男『これが新しい日本の右翼だ――「恐い右翼」から「理解される右翼」へ』日新報道、1982年、206頁
- ↑ 高木正幸『右翼・活動と団体』土曜美術社、1989年、18-26頁
- ↑ 警備実務研究会『右翼運動の思想と行動』立花書房、1989年、140-141頁
- ↑ 「右翼・民族派運動の現状について―昭和四十六年を中心として―」『内閣官房調査月報』第17巻第4号(通巻196号)、1972年4月
- ↑ 鈴木邦男『これが新しい日本の右翼だ――「恐い右翼」から「理解される右翼」へ』日新報道、1982年、60-61頁
- ↑ 警備実務研究会『右翼運動の思想と行動』立花書房、1989年、203頁
- ↑ 警備実務研究会『右翼運動の思想と行動』立花書房、1989年、206頁