全日本学生文化会議

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全日本学生文化会議(ぜんにほんがくせいぶんかかいぎ)は、日本青年協議会(日青協)の学生組織。略称は文化会議

概要[編集]

ウィキペディアによると、全日本学生文化会議は全国の民族派学生サークルの連合体。日本青年協議会(日青協)の学生組織といわれている。昭和44年(1969年)5月、東京都の九段会館に1,800名の代表を集め、左翼学生の学園支配に対抗する組織「全国学生自治体連絡協議会」(全国学協)が結成された。これと同時に「祖国と民族の生命線である“文化と伝統”を護る」ためとして、全国の民族派サークルの連合体「全日本学生文化会議」(池田豊冶議長)も結成された。文化会議は同年11月1日、京都商工会議所大ホールで第1回全国大会「日本の文化と伝統を護る学生の集い」(大会実行委員長百地章)を開催するなど活発な活動を展開した。しかし、昭和40年代後半以降の活動内容は不明となっており、昭和50年代後半より再び活動が活発になっている。このため、後期の文化会議は、一旦組織が断絶した後再結成されたものとの説もある(昭和48年の全国学協分裂によって一旦消滅した可能性が高いが、学協の機関紙『全国学生新聞』も発刊されなくなったため確認が難しい)[1]

社会問題研究会編『右翼事典――民族派の全貌』(双葉社、1970年)によると、全国学協系組織の1つに全日本学生文化会議(池田豊冶議長)がある[2]。日青協の機関誌『祖国と青年』第76号(1985年1月)に掲載された「大学は蘇える――新たなる学生運動の始動――「全日本学生文化会議」結成さる」という記事によると、1984年11月3日、伊勢に全国約200名の学生が結集して全日本学生文化会議が結成された。1969年に結成された全日本学生文化会議については触れられていない。

菅野完日本会議の研究』(扶桑社新書、2016年)によると、日青協は学生組織として反憲法学生委員会全国連合(反憲学連)と全日本学生文化会議を持っており、反憲学連は90年代以降活動が確認されていない。全日本学生文化会議は國學院大學などで活動しているが、それほど活発ではない[3]。1969年5月に全国学協が結成されたが、民族派学生運動の中から「闘争一本やりではなく、サークル団体として学生たちに文化的な活動を通じて思想教育をする運動体が必要だ」との機運が高まり、1969年11月に全日本学生文化会議が結成された。結成大会の大会実行委員長を百地章が務めた[4]

2006年4月、全日本学生文化会議を脱会した早瀬善彦の回想「日本青年協議会と谷口雅春信仰の実情―自身の体験から―」が西尾幹二のブログ「西尾幹二のインターネット日録」(2006年4月23日)に掲載され、西尾幹二と平田文昭の共著『保守の怒り――天皇、戦争、国家の行方』(草思社、2009年)にも全文が掲載された。また菅野完の『日本会議の研究』に早瀬の証言が掲載された。

連絡先は東京都目黒区青葉台3-10-1 VORT青葉台II(旧・パシフィックマークス青葉台)602号。機関誌は月刊『大学の使命』(1984年創刊)。

出典[編集]

  1. 全日本学生文化会議
  2. 社会問題研究会編『右翼事典――民族派の全貌』双葉社、1970年、180-181頁
  3. 菅野完『日本会議の研究』扶桑社新書、2016年、143頁
  4. 菅野完『日本会議の研究』扶桑社新書、2016年、203-204頁

関連項目[編集]

外部リンク[編集]