楠正盛
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楠 正盛(くす まさもり、永禄12年(1569年)‐ 天正12年5月6日(1584年6月13日)は、安土桃山時代の武将。滝川氏、織田氏に仕えた家臣である。
略歴[編集]
伊勢北方諸家の1つで、伊勢国三重郡楠木郷楠山城主(『伊勢北郡諸士録』)。仮名は十郎。
なお、楠木と言われているが、『蒲生記』には彼の事を「久須」と記録しており、楠木とこれを読むとは考えづらい。なお、『持光寺文書』に石山戦争の際に門徒に指令を出している「楠七郎左衛門尉」が確認できる。諱は正盛と言われるが疑問がある。
永禄10年(1567年)8月、織田信長に楠山城を攻められて降参し、北伊勢の支配を信長から任された滝川一益の与力となる(『勢州軍記』)。天正11年(1583年)に一益が賤ヶ岳の戦いに敗れて没落したことから、十郎は信長の次男・織田信雄の家臣となった。
天正12年(1584年)に小牧・長久手の戦いが行なわれると、十郎は信雄の命令で加賀井城への援軍として派遣される。しかし、城は羽柴秀吉に攻め落とされ、十郎は生け捕りにされた後、秀吉の命令で斬首された。享年16。