松平徳松

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松平 徳松(まつだいら とくまつ、元和元年(1615年)- 寛永9年(1632年))は、江戸時代前期の徳川氏の一族。徳川家康の孫に当たる。

生涯[編集]

父は家康の6男の松平忠輝。母は忠輝の生母・茶阿局侍女であったお竹の方。名は徳千代ともいう。

元和2年(1616年)に父が伯父で第2代征夷大将軍である徳川秀忠の命令で改易され、さらに配流された際、徳松とお竹の方は同行することを許されずに武蔵国岩槻藩主の阿部正次に預けられた。しかしそこでは冷遇され、将来に悲観した徳松は寛永9年(1632年)、配流先の自室に自ら火をかけて母と共に自殺した。享年18。

は伝わっておらず幼名だけのため、恐らく元服すらしていなかったものと思われる。忠輝の実子は徳松だけであり、そのため長沢松平家自体は忠輝の死をもって断絶した。