お竹の方

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お竹の方(おたけのかた、? - 寛永9年(1632年))は、江戸時代前期の女性松平忠輝側室

生涯[編集]

出自に関しては不明だが、忠輝の生母である茶阿局に仕える侍女だったという。忠輝の正室仙台藩主・伊達政宗の長女・五郎八姫だが、忠輝と彼女との間には子供が生まれず、側室に迎えたお竹との間に1人息子となる徳松が生まれている。

元和2年(1616年)に父が伯父で第2代征夷大将軍である徳川秀忠の命令で改易され、さらに配流された際、徳松とお竹の方は同行することを許されずに武蔵国岩槻藩主の阿部正次に預けられた。しかしそこでは冷遇され、将来に悲観した徳松は寛永9年(1632年)、配流先の自室に自ら火をかけて自殺し、この際にお竹も息子と共に死んだという。