杣山城
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杣山城(そまやまじょう)は、かつて福井県南条郡南越前町大字瓜生にあった日本の城である。国の史跡に指定されている。
概要[編集]
杣山は南条郡の中央、旧南条町と旧今庄町に跨る標高492メートルの山で、日野川の東岸に迫り、北陸道往還に存在した戦略上重要な拠点であり、そのため古来からこの地は砦などが築かれ、また多くの兵乱の競争地となった。古くは「北の比叡山」と称されて平安時代に山麓から山頂にかけて多くの僧房が並び、杣山三千坊と言われるほど繫栄した。この地に最初に城郭を築いたのは源頼近とされ、「飽和の庄」と称して天険の要塞としてその名を知られるようになる。
後に瓜生氏がこの城に入り、その際に名を杣山と改めたといわれている。瓜生氏は南北朝時代には南朝に属し、新田義貞が足利尊氏に敗れて越前国に落ち延びてくると、これを助けて足利軍に抵抗したので、攻められて当時の城主の瓜生保は戦死した。しかし城自体は落ちず、後に義貞がここに籠もって足利軍の抵抗に耐え抜き、さらに再起まで果たして足利が越前に残した斯波高経を日野川の戦いで破るなど、大いに活躍している。しかし、後に義貞は戦死した。
その後、この城は朝倉氏と一向一揆の争奪戦の場となり、戦国時代にも北陸道の要地として重要視された。
現在は山頂の本丸跡以下御殿跡、殿池、館跡、城戸土塁などが残されており、国の史跡に指定されている。また、登山コースもあり、中腹にはキャンプ場もある。