木下一元
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木下 一元(きのした かずもと)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。柴田氏、羽柴氏、後に豊臣氏の家臣。場所不明の2万石の大名である[1]。
略歴[編集]
出自や前半生などは不詳。元は織田信長の重臣・柴田勝家の甥で養子であった勝豊に仕える家臣だったが、天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いの際には勝豊と共に羽柴秀吉に降伏。その直後に勝豊が死去したため、秀吉に仕える家臣となった[1]。
天正14年(1586年)に従五位下美作守に叙任。文禄の役では豊臣秀次の指揮下で在京警護を担当した。文禄3年(1594年)からは伏見城普請に参加し、この頃に所領を2万石与えられた。慶長3年(1598年)8月18日に秀吉が死去した際、三原の太刀を拝領した[1]。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは西軍に属して大坂城の留守居として守備隊を担った。西軍が壊滅した後は所領を没収されて改易となり、その後の行方は不明となっている[1]。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]