月明院
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月明院(げつみょういん、? - 慶長13年8月7日(1608年9月15日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての女性。織田信長の娘。公家・徳大寺実久の正室。実名は不詳。
生涯[編集]
父は織田信長。生母は不明[1]。『織田家雑録』には法名や没年、子の名前しか記されていないため、不明な点が多い。夫の徳大寺実久は本能寺の変の翌年の天正11年(1583年)に生まれているため、月明院も信長の死の前後に生まれたと考えられる。実久との間の子の公信(左大臣)が『系図纂要』によると慶長11年(1606年)7月15日生まれであるため、その点からも輿入れは遅かったと見られている[1]。
月明院は慶長13年(1608年)8月7日、夫の実久に先立って死去した。法名は月明院殿秋岸浄仲大禅尼。墓所は京都府京都市北区の妙心寺韶陽院[1]。信長が死去した年あたりに生まれたとするなら、恐らく30歳になる手前だったと推定される。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 岡田正人 『織田信長総合事典』 雄山閣、1999年。ISBN 978-4-639-01632-8。