日本残酷物語

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日本残酷物語』(にほんざんこくものがたり)は、1959年から1961年平凡社から刊行された全7巻のシリーズ。宮本常一山本周五郎楫西光速山代巴監修。民俗学者の宮本常一と編集者の谷川健一を中心とした人々が、日本の近世、近代、現代の民衆の歴史の記録をまとめた作品[1]。全7巻は第1部「貧しき人々のむれ」、第2部「忘れられた土地」、第3部「鎖国の悲劇」、第4部「保障なき社会」、第5部「近代の暗黒」、現代篇1「引き裂かれた時代」、現代篇2「不幸な若者たち」で構成されている。1972年に刊行された第2版、1995年に刊行された平凡社ライブラリー版は現代篇を除いた全5巻で刊行された。

内容[編集]

かつて渥美半島伊良湖岬では、陶器が製造されていないにもかかわらず、伊良湖焼という陶器が名物になっていた。これは伊良湖岬が海の難所であったため、難破船から流出した陶器を砂浜から掘り出して売っていたものであった。耕地の乏しい沿岸の村では船荷目当てに船の遭難を神に祈ったり、漂着した船を襲撃したりすることは珍しくなかった。このような民衆の「残酷」な生活の記録を集めた書籍である。歴史学者の成田龍一は、第一部は「人」、第二部は「土地」、第三部から第五部は「歴史」に素材をとって、「貧困」のもとの「残酷物語」を告発した作品であるとまとめている[2]

作者[編集]

平凡社谷川健一が『風土記日本』(1957~60年)に続き企画・編集した[3]。監修者は宮本常一(民俗学者)、山本周五郎(小説家)、楫西光速(経済史家)、山代巴(小説家)の4人だが、実質的な監修者は宮本のみで、他の3人は名前を貸しただけだった[4]。目次裏に列挙されている執筆者は第1部が22人、第2部が24人、第3部が25人、第4部が18人、第5部が27人、現代篇1が31人、現代篇2が21人の計168人で、重複を除くと計131人となる。歴史学者、民俗学者、社会学者、社会福祉学者、詩人、作家、ジャーナリストなどが名を連ねるが、無署名であるため、誰がどの部分を執筆したのかは明らかでない[5]。これは物語としての一貫性を持たせるためであり、谷川健一を中心とする編集部が執筆者の原稿を大幅に改稿している[6]。本篇の編集者は児玉惇小林祥一郎、谷川健一の3人、現代篇の編集者は下田龍子宮良当章を加えた5人。

旧版のカットは山本忠敬、装幀は佐藤仁。地図は橘浩生(第2部)、山本忠敬(第2~5部)、古賀工芸社(第5部)、古賀図芸社(現代篇1)。題字は四宮潤一(第1部以外)。平凡社ライブラリー版のカバー・イラストは福田庄助、カバー・マーブル制作は製本工房リーブル

詳細は「『日本残酷物語』の執筆者一覧」を参照

旧版と平凡社ライブラリー版の異同[編集]

平凡社ライブラリー版では「執筆」が「執筆協力」に変更され、旧版にあった収録写真[1]、カット、地図、題字が割愛されている。各巻の巻末には大月隆寛(民俗学・民衆文化論)、久田恵(ノンフィクションライター)、師岡佑行(日本近代史)、塚本学(日本史)、成田龍一(日本近代史)による解説が付されている。

旧版には各巻に月報が付いていた。第一部の発売当時の帯の裏には岡本太郎武田泰淳日高六郎の3人の手による推薦文が記されていた[7]

影響[編集]

売れ行き[編集]

2021年の朝日新聞の記事によると、「初版2万部の第1巻は刊行後1カ月間に毎週5千部ずつ増刷され、1年後には18刷まで刷りを重ねた」「初版と1972年刊の第2版、75年の新装版を合わせた旧版は5巻累計で約36万部。ライブラリー版は約10部」の売れ行きを示した[5]

○○残酷物語[編集]

『日本残酷物語』というタイトルはフランス象徴主義を代表する作家ヴィリエ・ド・リラダンの『残酷物語』をもとにしたもの[3]。『日本残酷物語』の刊行後、『青春残酷物語』(大島渚監督、1960年6月公開)をはじめ、同書のタイトルに便乗した映画がいくつも制作・上映された[8]。「残酷物語」をタイトルに冠した映画に『世界残酷物語』(グァルティエロ・ヤコペッティ監督、1962年3月イタリア公開、同年9月日本公開)、『日本残酷物語』(中川信夫小森白高橋典共同監督、1963年公開)、『武士道残酷物語』(今井正監督、1963年)、『幕末残酷物語』(加藤泰監督、1964年)などがある[8]

民衆史研究[編集]

『日本残酷物語』は色川大吉の『明治精神史』(黄河書房、1964年)に代表される民衆史研究の先駆けとなった[2]。谷川健一は『日本残酷物語』と内容や主題が重なる『ドキュメント日本人(全10巻)』(谷川健一、鶴見俊輔村上一郎責任編集、學藝書林、1968~69年)、『女性残酷物語(全2巻)』(谷川健一編、大和書房、1968年)、『日本庶民生活史料集成(全30巻別巻1)』(谷川健一編集委員代表、三一書房、1968~84年)などの叢書を編集している[9]。『風土記日本』(1957~60年)を企画した際には、民俗学は体系がない学問である、階級闘争を軽視していると社内から左翼的な批判を浴びたというが[10]、安保闘争後は「土着ブーム」「柳田国男ブーム」の中で民俗学や民衆史の本が左翼に読まれた。

関連文献[編集]

『日本残酷物語』で最も反響を呼んだという「土佐檮原の乞食」は、「土佐源氏」に改題・改稿された上で宮本常一の著書『忘れられた日本人』(未來社、1960年2月)に収録された[11]。同書は1984年に岩波文庫からも刊行され、宮本の代表作として広く知られている。石牟礼道子の原稿は『サークル村』や『熊本風土記』に発表した原稿と合わせて『苦海浄土――わが水俣病』(講談社、1969年)として刊行された。

畑中章宏『『日本残酷物語』を読む』(平凡社新書、2015年)は、刊行までの経緯や全7巻を簡潔にまとめた内容を紹介している。その中で執筆者の推定も行っている。また編集に関与した人物の証言を含む、児玉惇『井戸の下の国のうた――児玉惇遺稿集』(芳林社、1980年)、佐野眞一責任編集『宮本常一――旅する民俗学者』(河出書房新社[KAWADE道の手帖]、2005年、増補版2013年)、小林祥一郎『死ぬまで編集者気分――新日本文学会・平凡社・マイクロソフト』(新宿書房、2012年)などの書籍も紹介している。

出典[編集]

  1. a b 畑中章宏『『日本残酷物語』を読む』平凡社新書、2015年、9-10頁
  2. a b 成田龍一「解説――「民衆史研究」前夜の歴史記述」『日本残酷物語 5 近代の暗黒』平凡社、1995年
  3. a b 『『日本残酷物語』を読む』53-55頁
  4. 『『日本残酷物語』を読む』32-33頁
  5. a b (時代の栞)日本残酷物語 1959~61年刊・宮本常一ほか監修 貧困・差別…苦しむ民衆の歴史 朝日新聞デジタル、2021年7月14日
  6. 『『日本残酷物語』を読む』57-60頁
  7. 大月隆寛「解説――かつて「残酷」と名づけられてしまった現実」『日本残酷物語 1 貧しき人々のむれ』平凡社、1995年
  8. a b 『『日本残酷物語』を読む』61-62頁
  9. 『『日本残酷物語』を読む』198頁
  10. 『『日本残酷物語』を読む』51頁
  11. 『『日本残酷物語』を読む』28-29頁

外部リンク[編集]