日像
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日像(にちぞう、1269年生 - 1342年没)とは、鎌倉時代の日蓮宗の僧侶。下総国(現在の千葉県)出身の人。通称は肥後房、肥後阿闍梨と称される。朗門の九鳳の一人。四条門流の祖。
1275年(建治元年)に日蓮の弟子となり、のちに日朗の弟子となる。
日蓮の没後に、佐渡島で法華経を布教して、その後、北陸地方の七尾で布教活動を行う。
1294年(永仁2年)に京都に上洛して、朝廷(天皇)に上奏した。
1307年(徳治2年)に京都の仏教の他宗派の寺院からの反発で宗教的な迫害(法難)を受けた。朝廷(天皇家)に強訴されて、京都から一時的に追放されたが、のちに赦免されて京都に戻った。その後、仏教の他宗派から2度に渡り強訴され、一時的に京都を追放されたが、直ぐに許されて京都に戻った。
その後、後醍醐天皇より綸旨を受けて、法華宗を名乗ることを許されて、京都に妙顕寺 (京都市)を建立して勅願寺(天皇が認めた寺)となった。