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徳弘三郎左衛門
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徳弘 三郎左衛門(とくひろ さぶろうざえもん、? - 寛永元年(1624年))は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。山田氏、後に長宗我部氏の家臣。土佐国香美郡立田土居城主[1]。
略歴[編集]
徳弘家は橘氏、あるいは菅原氏の子孫といわれ、中世に土佐国に土着し、三郎左衛門は山田家に仕えたが、同家滅亡後は長宗我部家に仕えた。天正16年(1588年)の検地帳においては、立田土居城主としての地位と所領を安堵されている。慶長5年(1600年)の長宗我部家改易後は土佐に土着し、寛永元年(1624年)に死去した[1]。
山田家に仕えていたとあるため、天文18年(1549年)に滅んだ山田家の家臣だったとしたら、相当な高齢である。少なくとも75歳は超えていたことになる。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ↑ 以下の位置に戻る: a b 山本大「長宗我部元親のすべて」P200