川成島藩

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川成島藩(かわなりしまはん)は、江戸時代末期(幕末)のわずかな期間だけ駿河国に存在したである。藩庁は川成島陣屋。藩主家は譜代大名本郷氏。石高は1万石。現在の静岡県富士市に存在した。

概要[編集]

この藩は江戸幕府征夷大将軍側衆として仕えていた2000石の旗本である本郷泰固が、天保13年(1842年)に1000石、弘化2年(1845年)に2000石、嘉永4年(1851年)に2000石と3度にわたる加増で合計7000石の旗本に栄進し、そして安政4年(1857年)に若年寄に任命されて3000石を加増されたことにより、合計1万石の大名に昇格したことにより、川成島藩を立藩したものである。陣屋は駿河国富士郡川成島に存在し、所領は駿河・武蔵国上総国などに存在した。

安政5年(1858年)に泰固は御役御免・差控となり、安政6年(1859年)に5000石を没収されて大名としての資格を失って旗本に没落し、この時点で川成島藩は廃藩となった。御役御免・差控が第13代征夷大将軍徳川家定の死の直後であるため、安政の大獄に巻き込まれて処罰された可能性があるが詳細は不明。

歴代藩主[編集]

本郷家

1万石。譜代

  1. 泰固