松浦高嶺
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松浦 高嶺(まつうら たかね、1923年9月25日[1] - 2010年6月13日[2])は、西洋史学者。立教大学名誉教授、フェリス女学院大学名誉教授[3]。専攻はイギリス近代史。
経歴・人物[編集]
東京都生まれ[1]。父は英文学者の松浦嘉一[4]。1943年9月に旧制高校を半年繰り上げで卒業し、10月に東京帝国大学文学部に入学したが、12月に学徒出陣で陸軍に入隊。1945年9月に復学[5]。1948年東京大学文学部史学科卒業。東京都立戸山高等学校教諭。1952年高崎短期大学専任講師、1955年助教授。1958年立教大学文学部専任講師、1959年助教授、1967年教授。1969-1970年文学部長代理兼文学研究科委員長代理[1]。1969年の立教大学文学部闘争では文学部長代理としてストライキの収拾に尽力した[6]。1973-1975文学部長兼文学研究科委員長。1988年退職。フェリス女学院大学教授。立教大学名誉教授[1]。
長幸男によると、内田義彦らが山田盛太郎を学長にして高崎市立短期大学を4年制の大学にしようとしたが、学内騒動になってそのプランが潰れ、東京から来ていた大石眞三郎、内藤則邦、松浦高嶺、島崎稔、石本美代子(島崎美代子)、高橋洸、長幸男らは東京に引き上げたという[7]。
柴田三千雄との共編『近代イギリス史の再検討』(御茶の水書房、1972年)は、「戦後史学」の主流をなした大塚史学と越智武臣や角山栄ら「新京都学派」が対抗する中で、日本におけるイギリス史研究の転換点となった[8]。
著書[編集]
単著[編集]
- 『イギリス近代史を彩る人びと』(刀水書房[人間科学叢書]、2002年)
- 『イギリス近代史論集』(山川出版社、2005年)
- 『英国史家としての50年の歩み――21世紀研究者への問いかけ』(松浦高嶺、2006年)
共著[編集]
- 『新制世界史研究――新指導要領準拠』(松田智雄、旗田巍、三浦一郎、村上正二共著、教育出版社、1958年)
- 『世界現代史 18 イギリス現代史』(上野格共著、山川出版社、1992年)
- 『学生反乱――1969 立教大学文学部』(速水敏彦、高橋秀共著、刀水書房[刀水歴史全書]、2005年)
編著[編集]
- 『近代イギリス史の再検討』(柴田三千雄共編、御茶の水書房、1972年)
- 『イギリス史研究入門』(青山吉信、今井宏、越智武臣共編、山川出版社、1973年)
- 『世界史大年表』(青山吉信、石橋秀雄、木村靖二、武本竹生共編、山川出版社、1992年、増補版2018年)
訳書[編集]
- G.M.トレヴェリアン『イギリス社会史(1)』(藤原浩共訳、みすず書房、1971年)
- G.M.トレヴェリアン『イギリス社会史(2)』(今井宏共訳、みすず書房、1983年)
監修[編集]
- J.M.ロバーツ著、大原祐子訳『図説:世界の歴史 7 アジア・アフリカのめざめ――ひとつになる世界』(小峯書店、1982年)
- J.M.ロバーツ著、青木道彦訳『図説:世界の歴史 8 危機にたつ人類』(小峯書店、1982年)
出典[編集]
- ↑ a b c d 「松浦高嶺先生の略歴と主要著作目録」『史苑』第50巻第1号、1990年2月
- ↑ 松浦高嶺先生 近藤和彦のブログ、2010年6月30日
- ↑ 松浦高嶺 みすず書房
- ↑ 松浦嘉一『英国を視る――1930年代の西洋事情』講談社学術文庫、1984年
- ↑ 松浦高嶺「卒業論文の意味と効用――今の学生は卒論を書きたがっている」『会報』第58号、大学基準協会、1986年12月
- ↑ 岡田一郎「史料・文献紹介」『歴史学研究』No.806、2005年10月
- ↑ 長幸男「内田義彦と日本の経済思想像」『専修大学社会科学研究所月報』No.333、1991年3月
- ↑ 川北稔「「残余の要因」――イギリス近代史研究の三〇年」『歴史科学』第133号、大阪歴史科学協議会、1993年8月