島原鉄道の歴史
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島原鉄道の歴史 (しまばらてつどうのれきし)は、島原鉄道の開業、改良の歴史について記述する。
概要[編集]
長崎県の島原半島の東海岸に建設された地方民鉄である。1911年6月20日に諫早駅と愛野村駅の開通に始まり、後に開業した口之津鉄道南島原駅と加津佐駅を島原鉄道が1943年7月1日に合併した。1957年7月25日、諫早大水害が発生し、鉄道、バス全線が不通になり、その後55日間を要して鉄道全線が仮復旧させた。
軌間 | 1067mm |
規格 | |
延長 | 78.5km |
線路数 | 単線 |
電化設備 | 非電化 |
閉塞装置 (鉄道) | 通票閉塞装置 |
保安装置 (鉄道) |
車両[編集]
開通時には日本で始めて鉄道が開業した新橋駅-横浜駅で使用された鉄道作業局1号機関車を譲受した。1930年6月1日には雨宮製の2軸ガソリンカーが2両が (カ1、カ2)が旧口之津鉄道を運行を始めた。1934年3月15日に雲仙が瀬戸内海、霧島と同時に大日本帝国として始めての国立公園に指定されたために国際産業博覧会が長崎と雲仙で開催された。博覧会期間中、5月23日まで鉄道省との直通列車が長崎駅まで直通運転した。これと同じ3月には日本車輌のボギー式ガソリンカーを導入した。
運行形態[編集]
かつては急行が運行していた。2022年9月の廃止直前における停車駅は、諫早、本諫早、愛野、吾妻、西郷、神代町、多比良町、大三東と島原以南の各駅であった。