山中頼次

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山中 頼次(やまなか よりつぐ、生没年不詳)は、戦国時代武将後北条氏の家臣。仮名は彦四郎、官途は内匠助と称した。子に頼元[1]

略歴[編集]

後北条家の武蔵国河越衆寄騎を務めた[2]。父は山中氏頼

北条氏綱の時代から後北条家に仕えており、天文10年(1541年11月には武蔵川越城の城将を務めていることから、川越城主である北条為昌に従っていたと考えられ、為昌がその後しばらくして死去すると、河越衆に編成替えされている。永禄2年(1559年)の役帳では河越衆寄騎として名が見え、知行は約600貫文であった[2]

北条氏康北条氏政の時代まで仕えていたのは確認できるが、永禄6年(1563年12月の記録を最後にして、行方は不明となっている。家督は嫡子の頼元が継承した[2]

脚注[編集]

  1. 『戦国北条家一族事典』 戎光祥出版。2018年。P222
  2. a b c 『戦国北条家一族事典』 戎光祥出版。2018年。P221

参考文献[編集]