小里城

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小里城(おりじょう)とは、現在の岐阜県瑞浪市稲津町小里2718にかつて存在した日本である。

概要[編集]

土岐川の支流である小里川近くの標高700メートルの峻険な山頂にあった山城である。

この城の築城には諸説がある。ひとつは戦国時代天文3年(1534年)に土岐氏の一族である小里光忠が築城したとする説、もうひとつはその光忠の息子である小里光明天正2年(1574年)に築城したとする説である。小里光忠・光明父子は織田信長に仕えた家臣で、信長没後は徳川家康に仕えて江戸時代には3600石を食む旗本となったが、元和9年(1623年)に当時の当主・小里光重が死去した際、嗣子が無かったため小里氏は断絶となった。

この城は規模こそ大したことは無いが、典型的な山城跡であり、創建当初の石塁を残している点など貴重な遺構であるとして、岐阜県の史跡に指定されている。小里川にかかる城山橋をわたって山麓を少し登ると、一の木戸跡の石塁が残り、三の木戸の石塁も左右共によく残っている。その上に御殿跡と呼ばれる300平方メートルほどの広場がある。ここから200メートルほどの急坂を登ると、山頂に本丸跡がある。山頂北に高さおよそ3.5メートル、一辺が16メートル、矢場を備えた桝形石塁がある。

アクセス[編集]