小幡信世
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小幡 信世(おばた のぶよ、天正6年(1578年) - 慶長5年(1600年))は、安土桃山時代の武将。石田三成の家臣。
略歴[編集]
父は小幡信繁で3男。上野国出身と言われるので[1]、上州小幡氏の一族と思われる。
文禄元年(1592年)に15歳で大坂に出て、豊臣氏の奉行だった三成に仕えて2000石の知行を与えられ、小姓頭、近習、納戸頭などを歴任した[1]。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは三成に従って参戦するが、石田軍敗走の際に三成の姿を見失ってその行方を捜し歩くが、そのために東軍に察知されて石山寺のあたりで捕縛された。その後、徳川家康が本陣としていた大津城の陣所で引見され、三成の行方を糾問されるも信世は答えずにむしろ堂々とした態度をとったので、家康からその忠義を賞賛され、義士であるとして釈放された。しかし、釈放された信世は再度恥を晒すことを恐れて、近くの寺に入って自ら死を選んだという。享年23[1]。