小山田弾正
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小山田 弾正(おやまだ だんじょう、? - 天文4年8月22日[1](1535年9月19日))は、戦国時代の武将。小山田氏の分家・境弾正家の一族[1]。小山田氏宗家、甲斐武田氏に仕えた。子に有誠。通称は平三[1]。
生涯[編集]
所領は境(現在の都留市)、倉見(現在の西桂町)にあった[1]。永正5年(1508年)に小山田弥太郎が郡内合戦において武田信虎に敗れて討死したため、伊豆韮山城の北条早雲の下に亡命した(『勝山記』)。
時期不明だが小山田氏の下に帰参し[1]、以後は武田信虎に従う。天文4年(1535年)8月22日に甲斐郡内に侵攻して来た北条氏綱の軍勢と戦い、敗死した[1](郡内・山中合戦)。