太田越前守

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太田 越前守(おおた えちぜんのかみ、生没年不詳)は、戦国時代武将後北条氏の家臣。受領名は越前守。諱は不詳。仮名は弥太郎。官途は大膳亮[1]

生涯[編集]

後北条家の家臣として江戸城の城将、江戸衆寄親を務めた。

天文14年(1545年)に史料上で初見されることから、北条氏康に仕えていたことがわかる。永禄2年(1559年)の『北条氏所領役帳』では大膳亮を称し、江戸衆寄親の一人としての地位、並びに江戸芝崎を所領として544貫文を領していることがわかる[1]。永禄3年(1560年)に長尾景虎が攻めてきた際には、古河公方の居城である下総国関宿城に派遣され、古河公方の足利義氏を助けて籠城した(『結城家之記』)。

永禄年間後半には越前守を称し、父親同様に古河公方との取次を務めている。天正5年(1577年)には古河公方への年頭申上を務めている。なお、この年に息子の弥太郎に家督を譲って隠居した。以後の行方は不明[1]

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. a b c 『戦国北条家一族事典』 戎光祥出版。2018年。P220