浅間山噴火

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浅間山噴火(あさまやまふんか)とは、長野県群馬県との県境にまたがる浅間山(標高2568メートル)の噴火のことである[1]

噴火史[編集]

浅間山は日本を代表する活火山であり、歴史的に何度も噴火を起こしている。史料に初めて出てくるのは685年の噴火で『日本書紀』にその記事がみえる[1]。特に著名な噴火としては、平安時代後期の1108年(天仁元年)に起きた「天仁大噴火」と江戸時代後期の1783年(天明3年)に起きた「天明大噴火」がある。噴火の規模としては、前者(天仁)のほうが後者(天明)よりも大きい。しかし、噴火による被害は天明のそれの方が大きかった。最近では2004年9月1日に爆発的な噴火を起こした[2][3][4][5]

天明大噴火[編集]

概要[編集]

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浅間山史上最も有名な噴火は[1][6]1783年5月9日(天明3年4月9日)から始まり[7]約90日間にわたって続いた「天明大噴火」であり、「天明の浅間焼け」として知られる[8][9][10]。大規模なプリニー式噴火であり、山体崩壊、二次爆発、泥流などが発生。関東平野一帯は、この時の噴火による火砕流岩屑なだれ大洪水などにより、甚大な被害を受けた[11][12]。被害は、死者1624人、流失家屋1151戸、焼失家屋51戸、倒壊家屋130戸余り。
噴煙成層圏にまで達し、江戸でも降灰があった。高崎周辺に至る地域に大量の火山灰が降って作物に被害を与えたため、天明の飢饉の原因の1つとなって多くの餓死者を出し、政治的には当時政権を掌握していた田沼意次への批判が高まって失脚する一因になってしまった[13]
この年は東北の岩木山アイスランドのラキ火山でも大規模火山噴火があり、成層圏に噴き上げられた火山灰は直射日光の照射を妨げてその後の世界的な不作の一因になったとされている。

記録[編集]

  • 噴火の期間:5月8~10日、6月25、26日、7月17、21~31日、8月1~5、15日
  • 噴火の最盛期:8月4日夜〜5日[14]
  • 火山現象の推移:火砕物降下 → 火砕物降下、火砕流 → 溶岩流、火砕物降下、火砕流、泥流 → 火砕流、岩屑なだれ → 泥流[15]
  • 噴火場所:釜山火口[15]
  • 噴出物総量:4.5×108m3
  • マグマ噴出量:0.51 DRE km3
  • 火山爆発指数:VEI4[16]

解説[編集]

天明3年(1783年)、4月から7月初旬(旧暦)まで断続的に活動を続けていた浅間山は、7月8日(旧暦)に大噴火を起こした。噴火は大量の火山灰を広範囲に堆積させた。このとき発生した火砕流に嬬恋村(旧鎌原村)では一村152戸が飲み込まれて483名が死亡したほか、群馬県下で1,400名を超す犠牲者を出した。天明3年の浅間山噴火は直後に吾妻川水害を発生させ、さらには3年後の天明6年に利根川流域全体に洪水を引き起こした。この浅間山噴火による利根川の河床上昇は各地での水害激化の要因となり、利根川治水に重要な影響を及ぼすことになった[17]

鬼押出し溶岩流の範囲

浅間山の噴火により大量の溶岩と火山灰が噴出。火山灰は主に東流し、遠くは江戸、銚子にまで達し、特に碓氷峠から倉賀野、新町の間は田畑全て降灰し、その形状すら判別できない状況であったという。各地の被害を合わせると、降灰の重みだけで70軒が潰れ、65軒が大破した[17]。ほぼ関東一円に堆積した火山灰は、農作物の生育にも影響を及ぼし、既に始まっていた天明の大飢饉に拍車をかけ、天明飢饉の進行に決定的役割を持つこととなった。また、大量に堆積した火山灰は、利根川本川に大量の土砂を流出させた天明3年の水害とともに、天明6年の水害といった二次、三次被害を引き起こす要因ともなった。溶岩流は北側の吾妻川流域へ火砕流となり山腹を流下した。流下した溶岩は三派に分かれ、一派は東方の分去り茶屋に、もう一派は西方の大笹方面に、残りの一派は他の二派の中央を真直ぐ北流した[17]。流下した溶岩は、大きな火砕流となって山腹を走り、分去り茶屋に向かったものは、小熊沢川と赤川に流れ込み、旧小宿村・常林寺を経て芦生田集落を埋没させた。また、大笹方面に流下したものは、大前で吾妻川に流れ込んだ。そして中央を北流したものは、旧鎌原村を直撃し一村を壊滅させた上で、現在のJR吾妻線万座・鹿沢口駅東側で吾妻川に流下した。この中央に流下した火砕流が最大のもので、「鎌原火砕流」と呼ばれ、その流下量は1億立方メートルとも推定されている[17]。最後に「鬼押出し溶岩」が北側に流下して、天明の浅間山大噴火は収束に向かったとされている。

被害状況[編集]

噴火による被害は、死者1624人、流失家屋1151戸、焼失家屋51戸、倒壊家屋130戸余り[18][8]

浅間山噴火による火砕流の流下により、旧鎌原村では一村約100戸が呑まれ、483名が死亡したほか、長野原210名、川島128名、南牧104名など多くの犠牲者を出した。地中の村と化した鎌原村についての史料は少ないが、災害当時の戸数は100戸前後、人口は570人ほどと推測されている[17]。鎌原村はイタリアの古代都市・ポンペイになぞらえて、「日本のポンペイ」とも呼ばれている[17][19]

特に被害が大きかった地域の集落別の被害は以下の通り。

集落数 死者数 流家数 集落数 死者数 流家数 集落数 死者数 流家数 集落数 死者数 流家数
鎌原 483[17] 152 長野原 210 矢倉 11 40 伊勢町 2
西窪 42 21 坪井 8 厚田 7 祖母島 28
与喜屋 55 立石 3 泉沢 8 荒巻 19
大前 74 100 川原畑 4 21 青山 1 17 箱島 3
芦生田 23 43 川原湯 18 岩下 11 24 市城 21
赤羽根 15 川戸 7 10 横谷 17 29 植栗 10
羽根尾 20 51 岩井 1 郷原 18 小野子 1 17
中居 10 川島 128 150 原町 16 金井 10
小宿 57 60 三島 16 57 五町田 10 村上 13 70
今井 36 松尾 3 6 岡崎新田 9 南牧 104

脚注[編集]

  1. a b c 浅間山噴火』 - コトバンク
  2. 浅間山2004年噴火の概要 - 平成16年9月 地震火山月報 (防災編)
  3. 浅間山2004年噴火:現地調査 - 国土地理院
  4. 浅間山 2004年の噴火 - NHK for School
  5. 2004年 浅間山が噴火 - NHK
  6. 日本国語大辞典,世界大百科事典内言及, ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,知恵蔵,デジタル大辞泉,百科事典マイペディア,デジタル大辞泉プラス,世界大百科事典 第2版,知恵蔵mini,日本大百科全書(ニッポニカ),事典・日本の観光資源,事典 日本の地域遺産,精選版. “浅間山(あさまやま)とは” (日本語). コトバンク. 2021年4月26日確認。
  7. 天明3年の大噴火”. webcache.googleusercontent.com. 2021年4月26日確認。
  8. a b 小項目事典, ブリタニカ国際大百科事典. “天明浅間山噴火(てんめいあさまやまふんか)とは” (日本語). コトバンク. 2021年4月26日確認。
  9. 三訂版, 旺文社日本史事典. “浅間山噴火(あさまやまふんか)とは” (日本語). コトバンク. 2021年4月26日確認。
  10. 世界大百科事典内言及. “天明の浅間焼け(てんめいのあさまやけ)とは” (日本語). コトバンク. 2021年4月26日確認。
  11. 浅間山・天明大噴火(天明3年7月7日) | 災害カレンダー” (日本語). Yahoo!天気・災害. 2021年4月26日確認。
  12. 災害史に学ぶ(火山編)”. 令和3年4月26日確認。
  13. 三訂版,世界大百科事典内言及, ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,デジタル大辞泉,百科事典マイペディア,世界大百科事典 第2版,日本大百科全書(ニッポニカ),精選版 日本国語大辞典,旺文社日本史事典. “天明の飢饉とは” (日本語). コトバンク. 2021年4月27日確認。
  14. tenmei eruption / 1783年噴火 (天明噴火)|災害と緊急調査|産総研 地質調査総合センター / Geological Survey of Japan, AIST”. www.gsj.jp. 2021年4月26日確認。
  15. a b 浅間山 有史以降の火山活動”. www.data.jma.go.jp. 気象庁(一部改変). 2021年4月26日確認。
  16. 国立天文台 『理科年表 令和3年』 丸善、753頁。ISBN 978-4-621-30560-7 
  17. a b c d e f g 天明3年(1783年)浅間山噴火 | 利根川水系砂防事務所 | 国土交通省 関東地方整備局”. www.ktr.mlit.go.jp. 国土交通省(一部改変). 2021年4月26日確認。
  18. 報告書(1783 天明浅間山噴火) - 災害教訓の継承に関する専門調査会報告書
  19. 鎌原村』 - コトバンク

外部リンク[編集]