大田原城
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大田原城(おおたわらじょう)とは、現在の栃木県大田原市城山に存在した日本の城である。
概要[編集]
室町時代後期の永正11年(1514年)、第12代水口城主の大俵胤清が現在の3の丸の地に出城を構築し、第13代の大田原資清の時代になって本丸と2の丸が増築されて城構えが整えられ、天文14年(1545年)に水口城からこの大田原城を居城にしたという。
この城は非常に要衝に存在したことから、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの際に徳川家康は大田原氏に対して、城の修築を命じている。家康の孫で第3代征夷大将軍の徳川家光も、奥州方面の鎮護としてこの城を重要視し、城内には常に1000石の非常用玄米を備蓄しておくことを命じている。以後、明治4年(1871年)の廃藩置県まで327年にわたって大田原氏の支配が続いた。
現在は城跡一帯が龍城公園(りゅうじょうこうえん)となっており、桜やツツジが植えられている。