大津山城
ナビゲーションに移動
検索に移動
大津山城(おおつやまじょう)とは、現在の熊本県玉名郡南関町大字関東にかつて存在した日本の城である。別名をつづらヶ嶽城(つづらがだけじょう)と称した。現在は大津山公園(おおつやまこうえん)となっている。
概要[編集]
南関町の北部、九州自動車道の東方に盛り上がる標高256メートルの大津山に存在した城である。この城は室町時代前期の応永3年(1396年)に大津山資基により築城された。この資基は公家・日野資名の8男であり、応永2年(1395年)に大御所・足利義満より功績を賞されて大津山の地を与えられて下向し、現地に城を築いて地名をそのまま姓にして土着したという。以後、大津山氏の支配で歴代が過ぎ、安土桃山時代になると豊後国の大友宗麟、薩摩国の島津義久の争奪戦の舞台となり、その都度にわたって大津山氏はどちらかに属している。
天正15年(1587年)に豊臣秀吉の九州征伐が行なわれると、大津山氏は秀吉に降伏したが、その後に秀吉が肥後の領主として派遣した佐々成政の統治に反抗して発生した肥後一揆に加担して滅ぼされた。そして、大津山城も加藤清正の時代に廃城とされてしまった。
現在は大津山の頂上付近に平坦な本丸跡が存在し、少し下がって2の丸跡、3の丸跡などが雑木林の中にわずかに残り、当時の面影を忍ばせている。山頂からは西方眼下に南関町の市街が箱庭のように見渡せる。
また、この大津山の南西腹に鎮座する大津山阿蘇神社は正長元年(1428年)、大津山氏の第2代・大津山経澄の創建と伝わっている。旧郷社で、建磐龍命・阿蘇都姫命の2神を祀っており、10月10日の例祭には奉納相撲が開かれ、近在からの人出で賑わいを見せている。また境内付近には桜や躑躅が多く植林されており、そのシーズンには楽しめる形になっている。