大森一樹
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大森 一樹(おおもり かずき、1952年〈昭和27年〉3月3日[1] - 2022年〈令和4年〉11月12日[2])は、日本の男性映画監督、脚本家。
プロフィール[編集]
略歴[編集]
10歳の時に兵庫県芦屋市に移住する[2]。芦屋市立精道中学校を経て、六甲高等学校、京都府立医科大学医学部卒業[2]。
1978年(昭和53年)、脚本も担当した映画『オレンジロード急行』で商業映画監督デビュー[3]。
1988年(昭和63年)、芸術分野において優れた業績を挙げた人に贈られる芸術選奨文部大臣新人賞を受賞。後進の指導にも力を注ぎ、2005年(平成17年)からは大阪芸術大学・映像学科の教授も務めた。晩年まで数多くの作品を手掛け、多くの俳優を育て上げたことで知られる。
2022年(令和4年)11月12日午前11時28分、急性骨髄性白血病のため、兵庫県西宮市の兵庫医科大学病院で死去した。70歳没。葬儀・告別式は近親者で行われた。
交友関係[編集]
映画『風の歌を聴け』の原作者で作家の村上春樹は中学の3年先輩[2][4]。
監督作品[編集]
自主制作映画[編集]
- 1969年『革命狂時代』(製作・監督・脚本・撮影・編集)
- 1972年『ヒロシマから遠く離れて』(企画・監督)
- 1972年『空飛ぶ円盤を見た男』(監督・脚本)
- 1972年『明日に向かって走れない!』(製作・監督・脚本・撮影・編集)
- 1974年『死ぬにはまにあわない!』(監督・脚本・撮影)
- 1975年『暗くなるまで待てない!』(監督・脚本[5])
映画[編集]
- 1978年『オレンジロード急行』(企画・監督・脚本) 第3回城戸賞
- 1978年『夏子と、長いお別れ(ロング・グッバイ)』(企画・監督・脚本)
- 1980年『ヒポクラテスたち』(監督・脚本)
- 1981年『前立腺の病気と予防』(監督・脚本)
- 1981年『尿路結石と微小発破』(監督・脚本)
- 1981年『風の歌を聴け』(監督・脚本)
- 1984年『すかんぴんウォーク』(監督)
- 1985年『ユー・ガッタ・チャンス』(監督)
- 1986年『テイク・イット・イージー』(監督)
- 1986年『恋する女たち』(監督・脚本)文化庁優秀映画賞、第11回日本アカデミー賞優秀脚本賞・優秀監督賞
- 1987年『トットチャンネル』(監督・脚本) 芸術選奨新人賞受賞
- 1987年『「さよなら」の女たち』(監督・脚本)
- 1989年『ゴジラvsビオランテ』(脚本・監督)
- 1989年『花の降る午後』(脚本・監督)
- 1990年『ボクが病気になった理由』(監督[注釈 1])
- 1991年『満月 MR.MOONLIGHT』(監督)
- 1991年『ゴジラvsキングギドラ』(脚本・監督)
- 1992年『継承盃』(監督)
- 1994年『シュート!』(監督)
- 1995年『大失恋。』(監督)
- 1995年『緊急呼出し エマージェンシー・コール』
- 1996年『わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語』(監督)第29回日本アカデミー賞優秀監督賞
- 1997年『ドリーム・スタジアム』(監督)
- 1998年『ジューンブライド 6月19日の花嫁』(監督・脚本)
- 1999年『明るくなるまでこの恋を』(監督・脚本)
- 2000年『ちんちろまい』(監督・脚本)
- 2000年『風を見た少年』(総監督)
- 2000年『ナトゥ 踊る!ニンジャ伝説』(監督・脚本)
- 2001年『走れ!イチロー』(監督・脚本)
- 2003年『T.R.Y.』(監督)
- 2005年『劇場版 超星艦隊セイザーX 戦え!星の戦士たち』(監督)
- 2006年『悲しき天使』(脚本・監督)
- 2008年『イエスタデイワンスモア』(脚本・監督)
- 2010年『世界のどこにでもある、場所』(脚本・監督)
- 2011年『津軽百年食堂』(監督・脚本(共作))
- 2015年『ベトナムの風に吹かれて』(監督・脚本[注釈 2])
テレビドラマ[編集]
- 1985年『法医学教室の午後』(監督・脚本)
- 1985年『それいけ!ズッコケ三人組』(各話監督)
- 1986年『法医学教室の長い一日』(監督・脚本)
- 1988年『女優時代』(監督)読売テレビ
- 1995年金曜エンタテイメント『炎の料理人 周富徳物語』(監督)フジテレビ
- 2001年『最悪』(監督)BS-i、TBS
- 2007年ドラマW 『黒い春』(監督)WOWOW
- 2014年『装甲巨人ガンボット』(本編演出・製作統括)テレビ大阪
脚本作品[編集]
映画[編集]
- 1988年『妖女の時代』
- 1992年『ゴジラvsモスラ』
- 1995年『ゴジラvsデストロイア』
- 2008年『空へ-救いの翼 RESCUE WINGS-』[注釈 3]
未製作脚本[編集]
- 1990年『モスラVSバガン』
テレビドラマ[編集]
- 1990年『ぼくが医者をやめた理由』テレビ東京
ラジオドラマ[編集]
著書[編集]
単著[編集]
- 1978年『MAKING OF オレンジロード急行』ぴあ出版
- 1981年『虹を渡れない少年たちよ』PHP
- 1986年『星よりひそかに 大森一樹の作った本』東宝出版事業室
- 1987年『トットチャンネル シナリオ写真集』東宝出版事業室
- 1987年『「さよなら」の女たち シナリオ写真集』東宝出版事業室
- 1989年『映画物語』筑摩書房
- 1998年『震災ファミリー』平凡社
- 2001年『あなたの人生案内』平凡社
共著[編集]
出演[編集]
カメオ出演[編集]
- 『さびしんぼう』(1985年) - 商店街で撮影されたシーンに通行人役で家族三人で出演している
- 『恋する女たち』(1986年) - 見合い写真
- 『ゴジラvsビオランテ』(1989年) - 千里中央病院の医師
- 『ゴジラvsキングギドラ』(1991年) - 広報車の声
- 『亜人』 (2017年) ‐ 佐藤との交渉のシーンに出演
ラジオ[編集]
CM[編集]
- ハウス食品 レンジグルメ
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ↑ “kazuki_omori_profile”. firstwood_entertainment. ファーストウッド・エンタテインメント. 2022年11月15日確認。
- ↑ a b c d e “映画監督の大森一樹さん死去 「ヒポクラテスたち」やゴジラシリーズなど作品多数 阪神・淡路では自宅被災”. 神戸新聞 (神戸新聞社). (2022年11月15日) 2022年11月15日閲覧。
- ↑ “映画監督 大森一樹さん死去「ヒポクラテスたち」など話題作”. NHK NEWS WEB (日本放送協会). (2022年11月15日) 2022年11月15日閲覧。
- ↑ “映画監督・大森一樹さん死去、70歳…「ゴジラ」シリーズに「ヒポクラテスたち」”. 読売新聞 (読売新聞社). (2022年11月15日) 2022年11月15日閲覧。
- ↑ 国立映画アーカイブ:http://nfad.nfaj.go.jp/det.php?mode=0&data_id=98559&key=暗くなるまで待てない