大井信為

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

大井 信為(おおい のぶため、享禄3年(1530年) - 天文18年7月25日1549年8月18日))は、戦国時代武将甲斐武田家家臣正室武田信虎の娘・亀御料人で、武田信玄の義兄弟かつ従弟。仮名は次郎[1]

生涯[編集]

武田信玄(晴信)の生母である大井夫人の兄弟である大井信業の長男である[1]。享禄4年(1531年)に父が信虎に反逆して戦死した時はわずか3歳だった[1]。このため、祖父の信達や叔父の信常の後見を受けた[1]。成人すると信虎の娘を晴信の養女として結婚している[1]。天文18年(1549年)7月25日に20歳の若さで早世した[1]。戒名は天搜道清禅定門[1]

脚注[編集]

  1. a b c d e f g 柴辻俊六 編『武田信虎のすべて』新人物往来社、2007年、p.193

参考文献[編集]