亀御料人(かめごりょうにん、天文3年(1534年) - 天文21年5月26日(1552年6月28日))は、戦国時代の女性。武田信虎の娘で、武田晴信の異母妹。
父は武田信虎。母は側室・楠浦氏。
異母兄の晴信の命令で、晴信の外戚に当たる大井信為に嫁いだ。しかし信為は天文18年(1549年)に20歳の若さで早世し、自らもその後を追うようにわずか3年後に19歳の若さで病死した。
死後の7月18日、晴信は塩沢藤十郎を高野山成慶院に派遣して菩提を弔わせた。法名は光岩宗玉大禅定尼という。