唐固
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唐 固(とう こ、生没年不詳)は、中国の後漢末期から三国時代にかけての呉の武将・政治家。字は子正(しせい)[1]。『集解』では字が世正(よせい)となっている。父は『唐書世系表』によると丹陽郡太守の唐翻。孫権の家臣。
生涯[編集]
学者で学問を修めて高く評価され、『国語』『公羊伝』『穀梁伝』などの注釈を著した[1]。唐固に学ぶ生徒は数十人いつもいた[1]。
孫権に仕え、222年に孫権が呉王に封じられると議郎に任命された[1]。225年に尚書僕射に昇進するが、間もなく死去した[1]。享年は70歳余りだったという[1]。
陸遜や張温、駱統らも常に丁重な礼をとるほどの人物だったと伝わる[1]。
『三国志演義』には登場しない。