向井俊彦
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向井 俊彦(むかい としひこ、1943年12月27日 - 2006年5月14日)は、哲学者。立命館大学文学部教授。
経歴・人物[編集]
大阪市生まれ[1]。三重県出身[2]。1967年京都大学文学部哲学科卒業[3]。1976年京都大学院文学研究科博士課程単位取得退学[1]。京都大学で野田又夫、辻村公一から指導を受ける[4]。1976年立命館大学経済学部助教授、1990年同教授、1993年同大学文学部教授、1994年同大学理工学部教授、1998年同大学文学部教授[1]。立命館大学教育科学研究所長(1992年~1994年)、立命館大学総合基礎教育センター長(2000年~2002年)[5]、京滋地区私立大学教職員組合連合書記長、日本科学者会議京都支部事務局長、関西唯物論研究会(関西唯研)事務局長、同副委員長等を歴任[1]。2006年5月14日、白血病のため京都市上京区の病院で死去、62歳[2]。没後に学校法人立命館から名誉教授の称号を贈られた[3]。
唯物論の立場からヘーゲル[3]、マルクス主義哲学を研究した[4]。自らを見田石介、鈴木茂の理論的継承者と位置付けていた[4]。論文「『実践的唯物論』が唯物論のマルクス主義的形態か――芝田進午氏の『実践的唯物論』体系の批判的検討」(唯物論研究協会編『唯物論研究』第2号、1980年9月)で実践的唯物論を批判し、実践的唯物論論争が始まった[6][7]。
1971年8月に石井伸男、村山紀昭、吉田千秋、吉田傑俊とともに結成よびかけ人となって「全国若手哲学研究者ゼミナール」(若手ゼミ、現・哲学若手研究者フォーラム)を設立した[8][9]。
著書[編集]
単著[編集]
- 『唯物論とヘーゲル研究』(文理閣、1979年)
- 『向井俊彦の探究 1 二〇〇一年の哲学案内――講義録・『フォイエルバッハ論』と現代』(文理閣、2008年)
- 『向井俊彦の探究 2 唯物論とヘーゲル研究』(文理閣、2008年)
- 『向井俊彦の探究 3 主体の学の構想』(文理閣、2008年)
共著[編集]
- 鯵坂真、有尾善繁、鈴木茂編『ヘーゲル論理学入門』(有斐閣[有斐閣新書]、1978年)
- ヘーゲル論理学研究会編『ヘーゲル大論理学概念論の研究』(大月書店、1991年)
出典[編集]
- ↑ a b c d 「向井俊彦教授略歴主要著書・論文目録(PDF)」『立命館文學』第603号、2006年
- ↑ a b 向井俊彦氏死去/立命館大教授、哲学 SHIKOKU NEWS、2006年5月15日
- ↑ a b c 木村一信「序(PDF)」『立命館文學』第603号、2006年
- ↑ a b c 上瀧真生「向井俊彦先生に学ぶ(PDF)」『立命館文學』第603号、2006年
- ↑ 向井俊彦の探究 文理閣
- ↑ 中村行秀、北村実、島崎隆、平子友長「【座談会】唯物論研究と東京唯物論研究会の歴史(後編)(PDF)」東京唯物論研究会編『唯物論』第82号、2008年12月
- ↑ 牧野広義「実践的唯物論論争について(PDF)」唯物論研究ジャーナルVol.1、2008年
- ↑ 「石井伸男教授 略歴および研究業績(PDF)」『高崎経済大学論集』第50巻第3・4合併号、2008年
- ↑ 「吉田千秋氏インタヴュー(PDF)」唯物論研究ジャーナルVol.5、2020年