司馬望
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司馬 望(しば ぼう、205年 - 271年)は、中国の三国時代の魏の武将。西晋の皇族。字は子初(ししょ)[1]。西晋の時代に義陽王となる。父は司馬孚。養父は司馬朗(伯父)。伯父は司馬懿。司馬師・司馬昭兄弟の従兄。従甥は司馬炎。子に司馬弈・司馬洪・司馬整・司馬楙。
生涯[編集]
司馬孚の長男で、伯父の司馬朗の養子となる[1]。251年の王凌の反乱の際に功績を挙げて永安亭侯に封じられる[2]。魏の第4代皇帝・曹髦に厚遇されたが司馬師と司馬昭らが簒奪に向けて権力を固めていたので地方に転出して蜀の侵略に備えた[1]。
265年に西晋が成立すると義陽王に封じられて大司馬に任命されたしかしケチで強欲だったため、271年に67歳で死去した後は余りに遺産として残した金箔の多さに非難が集中したと伝わる[1]。諡号は義陽成王[1]。
『三国志演義』では第112回で初登場し、以後は鄧艾と共に姜維率いる蜀軍の侵攻に対処する。敗戦もあったが、策士であり夏侯覇を討ち取る策略を実行に移して成功している。