原島宏治

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原島宏治(はらしま こうじ、1909年(明治42年)12月4日 - 1964年(昭和39年)12月9日)は、日本政治家宗教家

経歴[編集]

人物・エピソード[編集]

  • 1943年(昭和18年)に、当時の創価教育学会(創価学会の前身)の幹部が投獄された際、原島宏治のところにも刑事が来たが、その刑事を、創価学会に折伏(勧誘)したと言われている。
  • 池田大作の創価学会の第3代会長就任を強力に後押しした。
  • 原島宏治は亡くなる1週間前に、息子の原島嵩(はらしま・たかし)に対して「私は名誉もいらない。地位もいらない。ただ、願っていることはただ1つ、立派な日蓮正宗の1信徒でありたい信徒でありたい。」との言葉を残している。
  • 息子(長男)の原島昭は、元創価学会の本部職員、元東洋哲学研究所の研究員で、日蓮正宗法華講(信徒団体)の一つ「妙観講(みょうかんこう)」の機関紙『慧妙(えみょう)』への寄稿などをしている。
  • 息子(次男)は元創価学会の教学部長の原島嵩(はらしま・たかし)。息子(次男)の原島嵩は、後に池田大作(名誉会長)の指導方針への批判的な考えを強めて、創価学会から除名された。